第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第4話
「アデルさまの……。ここでの苦労は、私は存じ上げません」
彼はそう言うと、私の隣に立ち手を取った。
「ですがゆっくりと、これからのあなたと共にあることは可能です」
「それは、どういう意味でしょう」
「そのままの意味ですよ」
深く黒く、穏やかに微笑む彼の目は、今なら何でも叶えてくれそうな気がする。
「あ、あの、実は、お願いがあるのですが……」
「なんでしょう?」
やっぱり、帰るのをもう少し延期してもらいたい。
せめてノアと、ちゃんとお別れをしたい。
彼の誕生日を、一緒に祝いたい。
オランドには両親に伝言を頼んで、私は後から遅れて帰るから、だから……。
「あの……、ですね……」
だけど、アカデミーでちゃんとお別れを済ませ、館の荷物のほとんどを運び出し、セリーヌと侍女たちは、ようやく帰れると毎日のように浮かれていて、私は、私のわがままだけで……。
「ち、父と母への、お土産はなにがよろしいでしょうか」
「お土産ですか? それは、あなたがいれば十分ですよ」
「あ、あぁ。……そうですね」
自分で自分がイヤになる。
私は彼を、にっこりと微笑んで見上げる。
どうしてこんなにも、言いたいことが言えなくなってしまうのだろう。
オランドは、コホンと咳払いをした。
「実は、私からもお願いしたいことがあるのですが……」
そう言う彼の顔は、真っ赤になっていた。
「なんでしょう?」
「ダ、ダンスを、教えていただきたいのです。その……歓迎会では、ダンスを踊らなければならないと聞いて……。私も少しは心得ておりますが、なにせ国では戦闘に立つことばかりで、そのような華やかな場には慣れていないのです」
「セリーヌはなんと?」
「お怒りです」
「ふふ」
その困り果てた顔に、つい笑ってしまう。
彼もその精悍な顔に笑みを浮かべた。
「あぁ、やっと笑ってくださいました。あなたの笑顔が見られて、ようやくほっとできました」
彼の目は、じっと私を捕らえて放さない。
思わずうつむくと、そのまま部屋を出て行こうとしている。
「では今宵、夕食のあとで」
パタリと扉が閉まった。
私は一人になった部屋で、自分の胸をぎゅっと抱きしめる。
オランドのことは、信頼していいのか、疑っていいのか、まだ自分の中ではっきりと決まっていない。
彼が私に尽くしてくれるのは、義務か権利か。
仕事として尽くしてくれているだけなら、構わない。
だけど、彼がそうしたいと思ってやってくれているのだとしたら?
ノア以外の男性から向けられる視線に、意味など感じたことはなかったのに……。
食事のあとは、約束通りオランドのダンスレッスンに付き合った。
セリーヌの厳しい指導に、戦歴の猛者である彼すらビクビクしている。
「目線は前!」
「はい! あの、て、手は、この位置でよろしいでしょうか?」
「もう少し高く! 角度を上げて!」
そういえば、誰かのダンスレッスンにこんな風に付き合うのは、初めてだな。
ぎこちないステップ、オランドからのリードなんて、もちろんない。
触れただけで分かる筋肉質な腕に手を添え、体の大きな彼に身を寄せている。
「背筋が曲がっています。あなたは背が高いのですから、相手の女性に合わせてもう少し……。あぁ、もう!」
あれこれ言いかけたのをやめ、セリーヌは盛大なため息をつく。
「全く! これでは、帰ってからが思いやられます。あなたがこんな様子なら、城の中は一体どうなっていることでしょう」
「アデルさまには、文化、教養面で貢献していただけたらと。これほど頼もしいことはありません」
「それはいいアイデアね。アデルさまはこの国でサロンを開き、数々の著名な方々との交流を……」
不意に私の頬を、大粒の涙が伝う。
「アデルさま?」
それに気づいたオランドが、のぞき込んだ。
「どうかされましたか? 私が何か、失礼でもいたしましたか」
「あ、いえ。別にそういうわけじゃなくて……」
この人は悪くない。
この人たちは、誰も悪くない。
オランドもセリーヌもお父さまも、お父さまの兄王さえも。
だけど涙が流れてしまうのは、こんなにも胸が苦しいのは、私が見てはいけない幻を、ここで見てしまったせい。
彼はそう言うと、私の隣に立ち手を取った。
「ですがゆっくりと、これからのあなたと共にあることは可能です」
「それは、どういう意味でしょう」
「そのままの意味ですよ」
深く黒く、穏やかに微笑む彼の目は、今なら何でも叶えてくれそうな気がする。
「あ、あの、実は、お願いがあるのですが……」
「なんでしょう?」
やっぱり、帰るのをもう少し延期してもらいたい。
せめてノアと、ちゃんとお別れをしたい。
彼の誕生日を、一緒に祝いたい。
オランドには両親に伝言を頼んで、私は後から遅れて帰るから、だから……。
「あの……、ですね……」
だけど、アカデミーでちゃんとお別れを済ませ、館の荷物のほとんどを運び出し、セリーヌと侍女たちは、ようやく帰れると毎日のように浮かれていて、私は、私のわがままだけで……。
「ち、父と母への、お土産はなにがよろしいでしょうか」
「お土産ですか? それは、あなたがいれば十分ですよ」
「あ、あぁ。……そうですね」
自分で自分がイヤになる。
私は彼を、にっこりと微笑んで見上げる。
どうしてこんなにも、言いたいことが言えなくなってしまうのだろう。
オランドは、コホンと咳払いをした。
「実は、私からもお願いしたいことがあるのですが……」
そう言う彼の顔は、真っ赤になっていた。
「なんでしょう?」
「ダ、ダンスを、教えていただきたいのです。その……歓迎会では、ダンスを踊らなければならないと聞いて……。私も少しは心得ておりますが、なにせ国では戦闘に立つことばかりで、そのような華やかな場には慣れていないのです」
「セリーヌはなんと?」
「お怒りです」
「ふふ」
その困り果てた顔に、つい笑ってしまう。
彼もその精悍な顔に笑みを浮かべた。
「あぁ、やっと笑ってくださいました。あなたの笑顔が見られて、ようやくほっとできました」
彼の目は、じっと私を捕らえて放さない。
思わずうつむくと、そのまま部屋を出て行こうとしている。
「では今宵、夕食のあとで」
パタリと扉が閉まった。
私は一人になった部屋で、自分の胸をぎゅっと抱きしめる。
オランドのことは、信頼していいのか、疑っていいのか、まだ自分の中ではっきりと決まっていない。
彼が私に尽くしてくれるのは、義務か権利か。
仕事として尽くしてくれているだけなら、構わない。
だけど、彼がそうしたいと思ってやってくれているのだとしたら?
ノア以外の男性から向けられる視線に、意味など感じたことはなかったのに……。
食事のあとは、約束通りオランドのダンスレッスンに付き合った。
セリーヌの厳しい指導に、戦歴の猛者である彼すらビクビクしている。
「目線は前!」
「はい! あの、て、手は、この位置でよろしいでしょうか?」
「もう少し高く! 角度を上げて!」
そういえば、誰かのダンスレッスンにこんな風に付き合うのは、初めてだな。
ぎこちないステップ、オランドからのリードなんて、もちろんない。
触れただけで分かる筋肉質な腕に手を添え、体の大きな彼に身を寄せている。
「背筋が曲がっています。あなたは背が高いのですから、相手の女性に合わせてもう少し……。あぁ、もう!」
あれこれ言いかけたのをやめ、セリーヌは盛大なため息をつく。
「全く! これでは、帰ってからが思いやられます。あなたがこんな様子なら、城の中は一体どうなっていることでしょう」
「アデルさまには、文化、教養面で貢献していただけたらと。これほど頼もしいことはありません」
「それはいいアイデアね。アデルさまはこの国でサロンを開き、数々の著名な方々との交流を……」
不意に私の頬を、大粒の涙が伝う。
「アデルさま?」
それに気づいたオランドが、のぞき込んだ。
「どうかされましたか? 私が何か、失礼でもいたしましたか」
「あ、いえ。別にそういうわけじゃなくて……」
この人は悪くない。
この人たちは、誰も悪くない。
オランドもセリーヌもお父さまも、お父さまの兄王さえも。
だけど涙が流れてしまうのは、こんなにも胸が苦しいのは、私が見てはいけない幻を、ここで見てしまったせい。