第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第5話
「何でもないのです。なぜか……、あぁ、どういうことでしょう……」
流れやむことのない涙を、何度も振り払う。
「失礼します。お許しを」
オランドの太い腕が、私を抱き上げた。
そのまま階段を上がると、二階のバルコニーへ出る。
冷たい石造りのベンチに、私を下ろした。
「寒くはないですか?」
彼はしっかりと私の肩を抱き寄せる。
嗚咽と凍える風のせいで体が震えているのに、オランドの胸は私の知る誰よりも大きくて温かかい。
晩秋の月が照らす。
「……。何か、思うことがあるのなら、何でもおっしゃってください。突然現れた存在で……、私では、頼りにならないかもしれませんが。これだけは覚えておいてください。私はいつでも、必ず、どんな時もあなたの味方です」
触れる腕はノアよりもたくましくて、言葉はいつだってノアよりも丁寧で優しくて、ノアよりもずっと……。
「泣きたいのなら、胸も貸します。私の全ては、あなたのものです」
流れる涙を、彼の指が拭った。
「私とのダンスが嫌でした? それとも触られるのが苦手?」
背に回された腕が、もう一度しっかりと私を抱き寄せる。
彼の手が頬に触れ、顎を持ち上げた。顔が近づく。
「キスは?」
そのまま触れてくるかと思った唇は、重ねられることなく離れた。
オランドは立ち上がる。
「……。やめておこう。ここは冷えます。早めに部屋におかえりを」
翌日には、使節団の一行が城へ到着した。
大きな馬車から降りて来たスラリとした使者が、ステファーヌさまとフィルマンさまに挨拶をする。
馬はどれも肥えて毛艶もよく、兵士たちの衣装も立派なものだ。
一緒に運ばれてきた宝石や金貨、布や生糸、工芸品や装飾品は全て、マルゴー王家へと献上される。
「で、出立はいつ?」
ステファーヌさまに呼ばれ、庭に出されたテーブルで一緒にお茶をしている。
「明後日には発とうかと思っております」
「随分と慌ただしいね。もっとゆっくりしていけばいいのに」
オランドは、彼の手には小さすぎるティーカップにゆっくりと口をつけ、フィルマンさまは角砂糖をそのまま口に放り込んだ。
「アデルの準備は? 出来てるの?」
ステファーヌさまはくるみのスコーンを取ると、それを皿に乗せ私の前に置く。
「はい。特に必要な物もございませんので。身の回りのちょっとした品くらいで……」
「ノアから連絡は?」
「わ、……。私からも、送ってはおりますが、返事はまだ来ておりません。少し遠くまで足を伸ばすと言っていたので、それで遅れているのかも」
馬で3日はかかる距離を、手紙でやりとりをしている。
私が連絡を入れてから、ノアからの返事はない。
最後の手紙で山を下りるまで5日はかかると言っていた。
だけどもう、その5日はとうに過ぎている。
「きっと、向こうでの仕事が楽しくなってしまったのでしょう。初めての大きな公務ですもの。私のことなんかより、そちらを気にかける方が、彼にとっては正しい選択ですわ」
フィルマンさまは、じっと私を見下ろす。
そのまま両腕を組んだ。
「アデルは、本当にイイ子だね。いつもお利口さんだ」
ステファーヌさまは、カップを置いて一息つく。
「ノアの心配はしなくていい。こちらには無事の連絡が入っている」
「なら、なおさらですわ。私が心配することはございません」
震える手を、テーブルの下に隠す。
顔は笑っているから、きっと大丈夫。
「お二人には、大変お世話になりました。これでなくなるような縁ではないと、信じております。ノアさまにも、どうかよろしくお伝えくださいませ」
「では、明日の送別会で」
「はい!」
私の作れる最上級の笑顔で、元気にお二人に応える。
そうだ。
これで切れるような縁ならば、私とノアだってきっと続かない。
たとえどんなに離れても、手紙のやりとりは出来るし、会おうと思えば会える。
本当にこれで終わりでないのなら、きっと……。
ステファーヌさまとフィルマンさまが退席していくのを、丁寧に見送る。
残された私とオランドは、お茶のおかわりをした。
「いよいよ明日ですね」
「はい」
秋の日差しが、ぽかぽかと降り注ぐ。
「もう心残りはございませんか」
「このまま、永遠にお別れというわけではございませんもの」
私もそろそろ、覚悟決めないと。
十分にその時間はあったはずだ。
「さぁ、私たちもお暇いたしましょう。今日中には全て片付けてしまわないと。明後日にはここを離れます。今夜があの館での、最後の夜ですわ」
立ち上がった私を、ノアより背の高いオランドがエスコートする。
「ここはもうすっかり秋も深まっておりますが、シェル王国の首都は、もう少し季節も待ってくれています」
「そうね。ずっと南にあるもの」
オランドを振り返ると、さっきと同じ完璧な笑顔を浮かべる。
もう迷いはない。
「今から楽しみだわ」
早めの夕食を済ませ、最後のダンスレッスンが始まる。
「明日はよろしくお願いしますよ、アデルさま。私は作法も礼儀も何も心得ておりません。あなたのサポートがなければ、必ず笑われます」
「まぁ、大丈夫よ。オランドも基礎はしっかり出来ているもの。あとはタイミングを合わせるだけだわ」
彼の大きな手が腰に回り、そっと手を重ねる。
ゆっくりとした音楽が流れ、練習を積み重ねた簡単なステップを踏む。
そうだ。
ノアが私のことを忘れたっていい。
いつかきっと、彼は忘れてしまうだろう。
彼には沢山のお妃候補がいて、これからの日々が待っている。
それでも私が彼のことを忘れなければ、この気持ちは嘘にはならない。
流れやむことのない涙を、何度も振り払う。
「失礼します。お許しを」
オランドの太い腕が、私を抱き上げた。
そのまま階段を上がると、二階のバルコニーへ出る。
冷たい石造りのベンチに、私を下ろした。
「寒くはないですか?」
彼はしっかりと私の肩を抱き寄せる。
嗚咽と凍える風のせいで体が震えているのに、オランドの胸は私の知る誰よりも大きくて温かかい。
晩秋の月が照らす。
「……。何か、思うことがあるのなら、何でもおっしゃってください。突然現れた存在で……、私では、頼りにならないかもしれませんが。これだけは覚えておいてください。私はいつでも、必ず、どんな時もあなたの味方です」
触れる腕はノアよりもたくましくて、言葉はいつだってノアよりも丁寧で優しくて、ノアよりもずっと……。
「泣きたいのなら、胸も貸します。私の全ては、あなたのものです」
流れる涙を、彼の指が拭った。
「私とのダンスが嫌でした? それとも触られるのが苦手?」
背に回された腕が、もう一度しっかりと私を抱き寄せる。
彼の手が頬に触れ、顎を持ち上げた。顔が近づく。
「キスは?」
そのまま触れてくるかと思った唇は、重ねられることなく離れた。
オランドは立ち上がる。
「……。やめておこう。ここは冷えます。早めに部屋におかえりを」
翌日には、使節団の一行が城へ到着した。
大きな馬車から降りて来たスラリとした使者が、ステファーヌさまとフィルマンさまに挨拶をする。
馬はどれも肥えて毛艶もよく、兵士たちの衣装も立派なものだ。
一緒に運ばれてきた宝石や金貨、布や生糸、工芸品や装飾品は全て、マルゴー王家へと献上される。
「で、出立はいつ?」
ステファーヌさまに呼ばれ、庭に出されたテーブルで一緒にお茶をしている。
「明後日には発とうかと思っております」
「随分と慌ただしいね。もっとゆっくりしていけばいいのに」
オランドは、彼の手には小さすぎるティーカップにゆっくりと口をつけ、フィルマンさまは角砂糖をそのまま口に放り込んだ。
「アデルの準備は? 出来てるの?」
ステファーヌさまはくるみのスコーンを取ると、それを皿に乗せ私の前に置く。
「はい。特に必要な物もございませんので。身の回りのちょっとした品くらいで……」
「ノアから連絡は?」
「わ、……。私からも、送ってはおりますが、返事はまだ来ておりません。少し遠くまで足を伸ばすと言っていたので、それで遅れているのかも」
馬で3日はかかる距離を、手紙でやりとりをしている。
私が連絡を入れてから、ノアからの返事はない。
最後の手紙で山を下りるまで5日はかかると言っていた。
だけどもう、その5日はとうに過ぎている。
「きっと、向こうでの仕事が楽しくなってしまったのでしょう。初めての大きな公務ですもの。私のことなんかより、そちらを気にかける方が、彼にとっては正しい選択ですわ」
フィルマンさまは、じっと私を見下ろす。
そのまま両腕を組んだ。
「アデルは、本当にイイ子だね。いつもお利口さんだ」
ステファーヌさまは、カップを置いて一息つく。
「ノアの心配はしなくていい。こちらには無事の連絡が入っている」
「なら、なおさらですわ。私が心配することはございません」
震える手を、テーブルの下に隠す。
顔は笑っているから、きっと大丈夫。
「お二人には、大変お世話になりました。これでなくなるような縁ではないと、信じております。ノアさまにも、どうかよろしくお伝えくださいませ」
「では、明日の送別会で」
「はい!」
私の作れる最上級の笑顔で、元気にお二人に応える。
そうだ。
これで切れるような縁ならば、私とノアだってきっと続かない。
たとえどんなに離れても、手紙のやりとりは出来るし、会おうと思えば会える。
本当にこれで終わりでないのなら、きっと……。
ステファーヌさまとフィルマンさまが退席していくのを、丁寧に見送る。
残された私とオランドは、お茶のおかわりをした。
「いよいよ明日ですね」
「はい」
秋の日差しが、ぽかぽかと降り注ぐ。
「もう心残りはございませんか」
「このまま、永遠にお別れというわけではございませんもの」
私もそろそろ、覚悟決めないと。
十分にその時間はあったはずだ。
「さぁ、私たちもお暇いたしましょう。今日中には全て片付けてしまわないと。明後日にはここを離れます。今夜があの館での、最後の夜ですわ」
立ち上がった私を、ノアより背の高いオランドがエスコートする。
「ここはもうすっかり秋も深まっておりますが、シェル王国の首都は、もう少し季節も待ってくれています」
「そうね。ずっと南にあるもの」
オランドを振り返ると、さっきと同じ完璧な笑顔を浮かべる。
もう迷いはない。
「今から楽しみだわ」
早めの夕食を済ませ、最後のダンスレッスンが始まる。
「明日はよろしくお願いしますよ、アデルさま。私は作法も礼儀も何も心得ておりません。あなたのサポートがなければ、必ず笑われます」
「まぁ、大丈夫よ。オランドも基礎はしっかり出来ているもの。あとはタイミングを合わせるだけだわ」
彼の大きな手が腰に回り、そっと手を重ねる。
ゆっくりとした音楽が流れ、練習を積み重ねた簡単なステップを踏む。
そうだ。
ノアが私のことを忘れたっていい。
いつかきっと、彼は忘れてしまうだろう。
彼には沢山のお妃候補がいて、これからの日々が待っている。
それでも私が彼のことを忘れなければ、この気持ちは嘘にはならない。