第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第6話
「他の令嬢からダンスを誘われたら、どうすればよいのでしょう」
「男性から誘わなければ、誘われることはございませんわ」
ノアにはノアの世界があって、彼には彼の自由があるのなら、私にも私の世界があって、私の自由もある。
そうありたいと思うならば、より一層私たちは、何者にも縛られない存在でないといけない。
「なら、私からお誘いするのは、アデルさまだけですね」
「今はその方が無難かと」
「誘われた女性は、お断りすることは出来ないのですか?」
「もちろん出来ますが、そうと分からないようにお断りするのがマナーです」
「随分と難しいものですね」
あぁ。きっと、お父さまやお母さまが私を国外へ逃したのも、ノアがこの小さな緑の館を出て城に入ったのも、きっとこういう気持ちだったに違いない。
私はそれを、ずっと勘違いしていた。
だから今度は、私がそれを返す番なんだ。
オランドが私の手を引いた。
大きくターン。
そこからすぐに立て直す。
「すっかりお上手になられました」
「アデルさまと踊っていない時は、どうすれば?」
「他の方とおしゃべりをなさっていて。きっとオランドはモテモテよ」
「はは。だといいのですが」
そうやって、私の周囲の人たちが幸せになるのならば、私がそのお役に立てるのならば、私が父の後ろ盾になれたと言われたように、今度はノアの後ろ盾になりたい。
先も分からない、名もないどこかのただの娘と婚約をさせられる、幼い第三王子などという弱い立場ではなく、他国に強い繋がりのある、立派な王族の一員として、ここで認められるように。
私はそういう存在になりたい。
オランドの雄々しい顔が近づき、耳元でささやく。
「困っている時は、助けに来てください。合図を決めておきますか?」
「ふふ。そうね、何がいいかしら」
「左手で右の耳を触るというのはどうでしょう」
「いいアイデアね。ではそれで」
不意に、騒ぎが聞こえてきた。
エントランスで侍従たちが慌てている。
駆けてくる足音が聞こえ、乱暴に扉が開かれた。
オランドは私を背に隠すと、スラリと剣を抜く。
「アデル!」
飛び込んで来た男との間に、オランドが立ちはだかる。
鍛え抜かれた体で構えた剣に、ノアは立ち止まった。
それを見たエドガーも剣を抜く。
「何者だ、控えよ!」
「ノア! お待ちください。この者は怪しい者ではございません!」
オランドを押しのけ、私は前へ出た。
「アデル!」
ノアは私の背を抱きしめる。
飛びつきすがりつくように、きつく抱きしめた。
「アデル、アデル!」
ノアの体が汚れている。
服も髪もボロボロだ。
どれだけの距離を、馬で飛ばしてきたのだろう。
ノアはオランドをにらみ見上げた。
「何者だ。誰の許可を得てここにいる!」
「ノア。この方は私の護衛役です。父の遣わせたナイトです」
「父? シェル王国の?」
「そうよ。だから、心配しないで」
「どういうことだ」
「どういうことって、そういうことよ」
ノア。どうして帰ってきたの?
いっそ顔を見なければ、このまま綺麗にお別れ出来たのに。
ノアのミルクティー色の髪が、その髪によく似合う、懐かしい深いグレーの目が、私を見る。
「アデル、話しがある。ちょっといいか」
「今日はもう遅いわ。それに……」
「アデル!」
ノアが私の腕を強く掴んだ。
このまま彼と二人きりになったら、私がどうなってしまうか分からない。
「今日は、この館で最後の夜よ。それを台無しにしないで」
「最後? どういうことだ!」
「明日はお城で、私を迎えに来た使節団との宴があるの。そこで正式にお暇を頂いて、私はこの国を発つわ」
「なんだって? いつの間にそんなことになった。どうしてそんな大切なことを、自分一人で決めたんだ。僕が帰って来るまで、どうして待てない!」
返事が出来ない。
私には答えられない。
ノアはここに来るまでの間に、そんなことすら考えられなかったの?
ちょっと考えれば、すぐに分かることじゃない。
掴まれる腕が痛い。
逃げ出したいのに、逃げられない。
今さら何を言ったって、私たちの意志ではどうにもならないことなのに。
「アデル! 君はそれでいいのか? それを自分で、君は許可したのか!」
オランドと目が合った。
私は左手で、右の耳に触れる。
それを確認したオランドの手が、私の両肩に乗った。
「ノアさま」
彼はあくまで穏やかに、ノアに話しかける。
「明日は大切な宴がございます。本日はお疲れでしょう。早く城へお帰りになって、明日に備えた方がよろしいかと」
「その手を離せ!」
オランドはそんなノアに対しても、全く物怖じすることなく私をのぞき込む。
「アデルさま」
「……。ノア、痛い。離して」
彼の怒りに満ちた目が、私を貫く。
それでも、掴んでいたノアの手が離れた。
その瞬間、オランドはその隙間に入り込む。
「今宵はお引き取りを。明日またお会いしましょう。その時にゆっくりお話しをされては?」
「エドガー!」
抜かれた剣が宙を斬る。
響き合う金属音に、侍女たちは悲鳴を上げた。
オランドの剣はエドガーの剣を弾き返す。
それを上から押さえつけると、すかさず体を寄せ腹に肘を打ち込んだ。
オランドの剣が、エドガーの手からそれを払い落とす。
「ノア! 乱暴はやめて! こんなことしないで!」
「……。アデル、君は本当にそれでいいのか?」
「お願い、今日はもう帰って! こんなことをするために、あなたは帰ってきたの?」
頬を涙が伝う。
エドガーは落とされた剣を拾うと、再び彼の前に構えた。
私はオランドの前に出ると、両手を広げノアとエドガーに立ち塞がる。
「……分かった。今日は帰る。明日ちゃんと話しをしよう」
ノアが出て行く。
彼らが立ち去り、扉が閉まった瞬間、膝から崩れ落ちた。
それを支えてくれたのは、オランドの大きな手だ。
「アデルさま」
「ありがとう。助かりました」
彼は私の腰に手を添え、倒れないように支えてくれる。
「もうお休みください。明日で全てが終わります」
「そうね。あなたも驚かせてしまったわ。ごめんなさい」
「いいえ。たいしたことではありません」
彼は穏やかに微笑むと、私を部屋まで送り届けた。
「ではまた。お休みなさい」
寝支度を済ませ、一人ベッドに腰掛ける。
この部屋でこの景色を眺めるのも、これが最後だ。
もう二度と、見ることはない。
駆け込んで来たノアの、あの取り乱した姿に涙が滲む。
ダメよ、しっかりしなければ。オランドの言う通り、明日には全てが終わる。
私たちは本当の意味で解放されるのだ。
「男性から誘わなければ、誘われることはございませんわ」
ノアにはノアの世界があって、彼には彼の自由があるのなら、私にも私の世界があって、私の自由もある。
そうありたいと思うならば、より一層私たちは、何者にも縛られない存在でないといけない。
「なら、私からお誘いするのは、アデルさまだけですね」
「今はその方が無難かと」
「誘われた女性は、お断りすることは出来ないのですか?」
「もちろん出来ますが、そうと分からないようにお断りするのがマナーです」
「随分と難しいものですね」
あぁ。きっと、お父さまやお母さまが私を国外へ逃したのも、ノアがこの小さな緑の館を出て城に入ったのも、きっとこういう気持ちだったに違いない。
私はそれを、ずっと勘違いしていた。
だから今度は、私がそれを返す番なんだ。
オランドが私の手を引いた。
大きくターン。
そこからすぐに立て直す。
「すっかりお上手になられました」
「アデルさまと踊っていない時は、どうすれば?」
「他の方とおしゃべりをなさっていて。きっとオランドはモテモテよ」
「はは。だといいのですが」
そうやって、私の周囲の人たちが幸せになるのならば、私がそのお役に立てるのならば、私が父の後ろ盾になれたと言われたように、今度はノアの後ろ盾になりたい。
先も分からない、名もないどこかのただの娘と婚約をさせられる、幼い第三王子などという弱い立場ではなく、他国に強い繋がりのある、立派な王族の一員として、ここで認められるように。
私はそういう存在になりたい。
オランドの雄々しい顔が近づき、耳元でささやく。
「困っている時は、助けに来てください。合図を決めておきますか?」
「ふふ。そうね、何がいいかしら」
「左手で右の耳を触るというのはどうでしょう」
「いいアイデアね。ではそれで」
不意に、騒ぎが聞こえてきた。
エントランスで侍従たちが慌てている。
駆けてくる足音が聞こえ、乱暴に扉が開かれた。
オランドは私を背に隠すと、スラリと剣を抜く。
「アデル!」
飛び込んで来た男との間に、オランドが立ちはだかる。
鍛え抜かれた体で構えた剣に、ノアは立ち止まった。
それを見たエドガーも剣を抜く。
「何者だ、控えよ!」
「ノア! お待ちください。この者は怪しい者ではございません!」
オランドを押しのけ、私は前へ出た。
「アデル!」
ノアは私の背を抱きしめる。
飛びつきすがりつくように、きつく抱きしめた。
「アデル、アデル!」
ノアの体が汚れている。
服も髪もボロボロだ。
どれだけの距離を、馬で飛ばしてきたのだろう。
ノアはオランドをにらみ見上げた。
「何者だ。誰の許可を得てここにいる!」
「ノア。この方は私の護衛役です。父の遣わせたナイトです」
「父? シェル王国の?」
「そうよ。だから、心配しないで」
「どういうことだ」
「どういうことって、そういうことよ」
ノア。どうして帰ってきたの?
いっそ顔を見なければ、このまま綺麗にお別れ出来たのに。
ノアのミルクティー色の髪が、その髪によく似合う、懐かしい深いグレーの目が、私を見る。
「アデル、話しがある。ちょっといいか」
「今日はもう遅いわ。それに……」
「アデル!」
ノアが私の腕を強く掴んだ。
このまま彼と二人きりになったら、私がどうなってしまうか分からない。
「今日は、この館で最後の夜よ。それを台無しにしないで」
「最後? どういうことだ!」
「明日はお城で、私を迎えに来た使節団との宴があるの。そこで正式にお暇を頂いて、私はこの国を発つわ」
「なんだって? いつの間にそんなことになった。どうしてそんな大切なことを、自分一人で決めたんだ。僕が帰って来るまで、どうして待てない!」
返事が出来ない。
私には答えられない。
ノアはここに来るまでの間に、そんなことすら考えられなかったの?
ちょっと考えれば、すぐに分かることじゃない。
掴まれる腕が痛い。
逃げ出したいのに、逃げられない。
今さら何を言ったって、私たちの意志ではどうにもならないことなのに。
「アデル! 君はそれでいいのか? それを自分で、君は許可したのか!」
オランドと目が合った。
私は左手で、右の耳に触れる。
それを確認したオランドの手が、私の両肩に乗った。
「ノアさま」
彼はあくまで穏やかに、ノアに話しかける。
「明日は大切な宴がございます。本日はお疲れでしょう。早く城へお帰りになって、明日に備えた方がよろしいかと」
「その手を離せ!」
オランドはそんなノアに対しても、全く物怖じすることなく私をのぞき込む。
「アデルさま」
「……。ノア、痛い。離して」
彼の怒りに満ちた目が、私を貫く。
それでも、掴んでいたノアの手が離れた。
その瞬間、オランドはその隙間に入り込む。
「今宵はお引き取りを。明日またお会いしましょう。その時にゆっくりお話しをされては?」
「エドガー!」
抜かれた剣が宙を斬る。
響き合う金属音に、侍女たちは悲鳴を上げた。
オランドの剣はエドガーの剣を弾き返す。
それを上から押さえつけると、すかさず体を寄せ腹に肘を打ち込んだ。
オランドの剣が、エドガーの手からそれを払い落とす。
「ノア! 乱暴はやめて! こんなことしないで!」
「……。アデル、君は本当にそれでいいのか?」
「お願い、今日はもう帰って! こんなことをするために、あなたは帰ってきたの?」
頬を涙が伝う。
エドガーは落とされた剣を拾うと、再び彼の前に構えた。
私はオランドの前に出ると、両手を広げノアとエドガーに立ち塞がる。
「……分かった。今日は帰る。明日ちゃんと話しをしよう」
ノアが出て行く。
彼らが立ち去り、扉が閉まった瞬間、膝から崩れ落ちた。
それを支えてくれたのは、オランドの大きな手だ。
「アデルさま」
「ありがとう。助かりました」
彼は私の腰に手を添え、倒れないように支えてくれる。
「もうお休みください。明日で全てが終わります」
「そうね。あなたも驚かせてしまったわ。ごめんなさい」
「いいえ。たいしたことではありません」
彼は穏やかに微笑むと、私を部屋まで送り届けた。
「ではまた。お休みなさい」
寝支度を済ませ、一人ベッドに腰掛ける。
この部屋でこの景色を眺めるのも、これが最後だ。
もう二度と、見ることはない。
駆け込んで来たノアの、あの取り乱した姿に涙が滲む。
ダメよ、しっかりしなければ。オランドの言う通り、明日には全てが終わる。
私たちは本当の意味で解放されるのだ。