第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第7話
翌朝、館に勤めていた侍女たちに見送られ、正門に出た。
濃い緑の外壁で覆われた小さな館を見上げる。
「ここで暮らした日々も、やがて過去のものになるのね。すぐに壊されてしまうのかしら」
「そうとも限りませんよ。きっとまた誰か、別のお方がここを守ってゆくでしょう」
私が手を差し出すと、オランドは自然にそれを取った。
互いに見つめ合い、にっこりと微笑む。
乗り慣れた小さな馬車に、今はオランドと二人で乗り込む。
「今日の予定は、どうなっているの」
「これからすぐに、シェル王国からの使節団と面会があります。正式な団長であるフロアーノの礼を受けてください。そちらからまた、詳しい説明があると思います」
「ふぅ。そうよね。基本的にあなたは私に付きっきりで、交渉はそちらでしていたんですもの」
「彼は……。文官でいけ好かない奴ですが、交渉術には長けています。きっとアデルさまのお役に立てるでしょう」
「あなたが褒めるなんて、よっぽどね」
「いえ、そんなことは……」
彼は少し頬を赤くして、うつむいた。
もしかしたら、本当に苦手な人なのかな。
馬車寄せに到着すると、その彼は既に待機していた。
白金の真っ直ぐな長い髪をそのまま垂らし、ブルーグレイの目をしている。
「アデルさま。お初目にかかります。国に戻るまでの行程をつつがなきものとするよう、我ら一同、微力ながら勤めさせていただきます」
「ありがとう」
差し出した私の手にキスをする。
その身のこなしはとても優雅で洗練されていて、オランドとは違い社交界のマナーも心得ているようだ。
「こちらです、アデルさま。ぜひ一度使節団へお目通しを」
オランドとフロアーノに挟まれ、使節団を見て回る。
懐かしい言葉のなまりと、装飾の細工。
兵士たちの顔つきも、やはりこの国の人間とはどこか違う。
「この後は、しばらく城の一室でご休憩ください。その後、お召し替えをされたら、いよいよ式典へのご出席となります」
「そう」
ノアは?
そんな言葉が出かけて、慌てて飲み込む。
泥だらけで昨夜遅くに戻ってきたノアは、いまどこで何をしているのだろう。
オランドが言った。
「私はアデルさまの隣の間で控えております。なにかありましたら、すぐにお呼びください」
通された部屋は、王宮で一番の客間だった。
とんでもなく広い部屋に、一人放り込まれ、取り残されている。
部屋の窓からは、私が6年の月日を過ごした館は見えない。
この国に来て、この場所でノアと出会い、今日別れる。
そう、たったそれだけのこと。
簡単な昼食を済ませ、式典までの時間をゆっくりと過ごす。
侍女たちが現れ、この日のために用意されたという、ステファーヌさまから送られたシェル王国風のドレスを身につける。
白に目の覚めるような青のストライプと刺繍の入った、豪華なドレスだ。
「こちらは、フィルマンさまからの贈り物でございます」
そのドレスに合わせた、ブルーサファイアのネックレスだ。
「とっても素敵です。よくお似合いですわ、アデルさま」
太陽が西に沈み始める。
最後の宴が始まる。
やっぱりノアは、会いには来ない。
彼もようやく理解したのだ。
私とあなたの、本当の意味での互いの立場を。
「お時間です。そのまま、こちらでお待ちくださいませ」
侍女たちが部屋を出て行く。
すぐにノックが聞こえ、扉が開いた。ノアだ。
「お待たせ、アデル」
白の上着に、私と同じ青い刺繍の入っているお揃いのデザインだ。
彼のはマルゴー王国風の仕立てになっている。
衣装の様式は違っても、揃えたものだと一目で分かる。
「今日も綺麗だよ、アデル」
「ありがとう。あなたも素敵よ。ノア」
今日のノアは、本当に輝いて見える。
今までのどんなノアよりも、こんな素敵な彼は見たことがない。
差し出された手に、自分の手を添えた。
こうやって彼に触れるのも、もうお終い。
私が立ち上がると、ノアはエスコートしながら廊下へ出る。
「昨日は悪かった。驚かせてごめん」
「いいの。会えて嬉しかった」
ノアと並んで、絨毯の敷き詰められた廊下を歩く。
『最後に会えて』とは、言えなかった。
彼からはほんのりと香水のいい香りがして、私は今にも酔いそうなそれに目を閉じた。
「今までありがとう。とても楽しかった。ここでの私が、惨めな思いも寂しい思いもせず過ごせたのは、あなたのおかげよ。感謝してる」
ノアは無言のまま、肘を突き出した。
いつものように、そこへ腕を絡める。
「どんな時でも、あなたのことは忘れない。だから……。遠く離れても、これからもずっとよろしくね」
扉の前で立ち止まった。
ノアは私を見下ろすと、髪にキスをする。
「愛してるよ、アデル」
私はその言葉で、魔法をかける。
自分で自分にかける魔法は、きっとこれが最後。
目をしっかりと閉じ、もう一度それを開いた。扉が開く。
「シェル王国王女アデルさま、マルゴー王国第三王子ノアさまのご入場!」
私たちは、同時に前に進み出る。
彼と二人並んで、何度も何度も繰り返し訓練した、同じ挨拶を完璧にこなす。
すっかり体に染みついた、クセみたいなものだ。
全く同じタイミングで、目を合わせる。
きっとカラクリ人形だって、こんな風にはいかない。
「とても素敵だよ、アデル。今日はまた一段と美しい」
「ありがとう、ノア。あなたもよ。眩しいくらいだわ」
用意されたテーブルにつくと、式典が始まった。
シェル王国からの献上品の目録紹介。
使節団代表フロアーノからの挨拶と、ステファーヌさまからのお言葉。
各大臣や要職に就く人たちからの一言。
ノアはにこやかな笑みをたたえたまま、真っ直ぐに前だけを向いている。
彼のこの横顔を、この位置から見上げるのも、これが最後。
濃い緑の外壁で覆われた小さな館を見上げる。
「ここで暮らした日々も、やがて過去のものになるのね。すぐに壊されてしまうのかしら」
「そうとも限りませんよ。きっとまた誰か、別のお方がここを守ってゆくでしょう」
私が手を差し出すと、オランドは自然にそれを取った。
互いに見つめ合い、にっこりと微笑む。
乗り慣れた小さな馬車に、今はオランドと二人で乗り込む。
「今日の予定は、どうなっているの」
「これからすぐに、シェル王国からの使節団と面会があります。正式な団長であるフロアーノの礼を受けてください。そちらからまた、詳しい説明があると思います」
「ふぅ。そうよね。基本的にあなたは私に付きっきりで、交渉はそちらでしていたんですもの」
「彼は……。文官でいけ好かない奴ですが、交渉術には長けています。きっとアデルさまのお役に立てるでしょう」
「あなたが褒めるなんて、よっぽどね」
「いえ、そんなことは……」
彼は少し頬を赤くして、うつむいた。
もしかしたら、本当に苦手な人なのかな。
馬車寄せに到着すると、その彼は既に待機していた。
白金の真っ直ぐな長い髪をそのまま垂らし、ブルーグレイの目をしている。
「アデルさま。お初目にかかります。国に戻るまでの行程をつつがなきものとするよう、我ら一同、微力ながら勤めさせていただきます」
「ありがとう」
差し出した私の手にキスをする。
その身のこなしはとても優雅で洗練されていて、オランドとは違い社交界のマナーも心得ているようだ。
「こちらです、アデルさま。ぜひ一度使節団へお目通しを」
オランドとフロアーノに挟まれ、使節団を見て回る。
懐かしい言葉のなまりと、装飾の細工。
兵士たちの顔つきも、やはりこの国の人間とはどこか違う。
「この後は、しばらく城の一室でご休憩ください。その後、お召し替えをされたら、いよいよ式典へのご出席となります」
「そう」
ノアは?
そんな言葉が出かけて、慌てて飲み込む。
泥だらけで昨夜遅くに戻ってきたノアは、いまどこで何をしているのだろう。
オランドが言った。
「私はアデルさまの隣の間で控えております。なにかありましたら、すぐにお呼びください」
通された部屋は、王宮で一番の客間だった。
とんでもなく広い部屋に、一人放り込まれ、取り残されている。
部屋の窓からは、私が6年の月日を過ごした館は見えない。
この国に来て、この場所でノアと出会い、今日別れる。
そう、たったそれだけのこと。
簡単な昼食を済ませ、式典までの時間をゆっくりと過ごす。
侍女たちが現れ、この日のために用意されたという、ステファーヌさまから送られたシェル王国風のドレスを身につける。
白に目の覚めるような青のストライプと刺繍の入った、豪華なドレスだ。
「こちらは、フィルマンさまからの贈り物でございます」
そのドレスに合わせた、ブルーサファイアのネックレスだ。
「とっても素敵です。よくお似合いですわ、アデルさま」
太陽が西に沈み始める。
最後の宴が始まる。
やっぱりノアは、会いには来ない。
彼もようやく理解したのだ。
私とあなたの、本当の意味での互いの立場を。
「お時間です。そのまま、こちらでお待ちくださいませ」
侍女たちが部屋を出て行く。
すぐにノックが聞こえ、扉が開いた。ノアだ。
「お待たせ、アデル」
白の上着に、私と同じ青い刺繍の入っているお揃いのデザインだ。
彼のはマルゴー王国風の仕立てになっている。
衣装の様式は違っても、揃えたものだと一目で分かる。
「今日も綺麗だよ、アデル」
「ありがとう。あなたも素敵よ。ノア」
今日のノアは、本当に輝いて見える。
今までのどんなノアよりも、こんな素敵な彼は見たことがない。
差し出された手に、自分の手を添えた。
こうやって彼に触れるのも、もうお終い。
私が立ち上がると、ノアはエスコートしながら廊下へ出る。
「昨日は悪かった。驚かせてごめん」
「いいの。会えて嬉しかった」
ノアと並んで、絨毯の敷き詰められた廊下を歩く。
『最後に会えて』とは、言えなかった。
彼からはほんのりと香水のいい香りがして、私は今にも酔いそうなそれに目を閉じた。
「今までありがとう。とても楽しかった。ここでの私が、惨めな思いも寂しい思いもせず過ごせたのは、あなたのおかげよ。感謝してる」
ノアは無言のまま、肘を突き出した。
いつものように、そこへ腕を絡める。
「どんな時でも、あなたのことは忘れない。だから……。遠く離れても、これからもずっとよろしくね」
扉の前で立ち止まった。
ノアは私を見下ろすと、髪にキスをする。
「愛してるよ、アデル」
私はその言葉で、魔法をかける。
自分で自分にかける魔法は、きっとこれが最後。
目をしっかりと閉じ、もう一度それを開いた。扉が開く。
「シェル王国王女アデルさま、マルゴー王国第三王子ノアさまのご入場!」
私たちは、同時に前に進み出る。
彼と二人並んで、何度も何度も繰り返し訓練した、同じ挨拶を完璧にこなす。
すっかり体に染みついた、クセみたいなものだ。
全く同じタイミングで、目を合わせる。
きっとカラクリ人形だって、こんな風にはいかない。
「とても素敵だよ、アデル。今日はまた一段と美しい」
「ありがとう、ノア。あなたもよ。眩しいくらいだわ」
用意されたテーブルにつくと、式典が始まった。
シェル王国からの献上品の目録紹介。
使節団代表フロアーノからの挨拶と、ステファーヌさまからのお言葉。
各大臣や要職に就く人たちからの一言。
ノアはにこやかな笑みをたたえたまま、真っ直ぐに前だけを向いている。
彼のこの横顔を、この位置から見上げるのも、これが最後。