第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第9話
「ここであなたと過ごした時間は、本当に楽しかったし、感謝してる」
あなたと過ごした日々を、私は決して忘れない。
「だけど思い出して。あなたはこの国の王子で、私は蛮国の姫よ」
「そんな風に思ったことは、一度もない」
「あなたはそうでも、他の貴族たちが許さない」
ノアは彫刻のようにじっと立ち止まったまま、ただ私を見つめる。
「あなたが真摯に婚約者のフリをしてくれて、私は本当に、心からありがたく感じていたのよ。おかげで窮屈でも、不自由はしなかった」
嵐の番、馬小屋で二人きりの夜を明かした日を、ともに王宮の庭を走り回った日を、あの小さな緑の館で、一緒に暮らした日々を……。
「あなたじゃなかったら、きっと我慢できなかったでしょうね。触れられるのも、キスをされるのも」
「アデル……。君は!」
愛してるわ、ノア。
村祭りの夜、火の粉の舞う渦の中で踊った夜を。
一緒に手を繋ぎ眠った夜を。
あなたの帰りを待ちわびて、胸を焦がし過ごした夜を……。
「さようなら、ノア。私はあなたの手を離れて、ようやく自由になれる。離れていても、私たちの思い出はそのままよ。共に過ごした……、友情の日々は消えない」
「君は、本当に自ら望んで国に帰るのか? やっぱり君は、僕の前でずっと恋人のふりを続けてきたと?」
奥で扉が開いた。
駆けてくる足音が聞こえ、それがピタリと立ち止まる。
「オランド……」
「アデルさま」
彼に近づこうとした私に、ノアが叫んだ。
「アデル! 行くな。ここに残ってくれ。僕は君を愛している」
「ノア……」
振り返ってはだめ。
私は真っ直ぐに前を向き、オランドの腕にしがみつく。
こぼれ落ちる涙を、ノアにだけは見せてはならない。
「……。母に、会いたいの」
私はオランドの腕の中で、そっと左手で右の耳に触れる。
彼はしっかりと私を抱きしめた。
「ノアさまには我々一同、大変深く感謝をしております。このご恩は、決して忘れません」
そう言うと、彼はノアの前にひざまずき、頭を下げた。
臣下が主人に示す、服従の礼だ。
私も彼の後ろで同じようにひざまずき、頭を下げる。
「……。それが、君たちの答えか」
「長い間、大変ありがとうございました」
私からの、最後の言葉を聞き届けると、ノアは背を向けた。
去って行く、彼の足元と靴の踵だけが視界に残る。
やがてそれも、すぐに涙でにじんでしまった。
足音が聞こえなくなっても、そこから動くことが出来ない。
「アデルさま」
オランドに支えられ、私はようやく立ち上がる。
流れる涙を拭った。
「もう終わりましたよ。お疲れさまでした。今夜はもう、ゆっくりお休みください。明日の昼前には、ここを発ちます」
「ありがとう、オランド。あなたのおかげで助かったわ」
彼は静かに微笑むと、私を部屋まで送り届け、その扉を閉めた。
あなたと過ごした日々を、私は決して忘れない。
「だけど思い出して。あなたはこの国の王子で、私は蛮国の姫よ」
「そんな風に思ったことは、一度もない」
「あなたはそうでも、他の貴族たちが許さない」
ノアは彫刻のようにじっと立ち止まったまま、ただ私を見つめる。
「あなたが真摯に婚約者のフリをしてくれて、私は本当に、心からありがたく感じていたのよ。おかげで窮屈でも、不自由はしなかった」
嵐の番、馬小屋で二人きりの夜を明かした日を、ともに王宮の庭を走り回った日を、あの小さな緑の館で、一緒に暮らした日々を……。
「あなたじゃなかったら、きっと我慢できなかったでしょうね。触れられるのも、キスをされるのも」
「アデル……。君は!」
愛してるわ、ノア。
村祭りの夜、火の粉の舞う渦の中で踊った夜を。
一緒に手を繋ぎ眠った夜を。
あなたの帰りを待ちわびて、胸を焦がし過ごした夜を……。
「さようなら、ノア。私はあなたの手を離れて、ようやく自由になれる。離れていても、私たちの思い出はそのままよ。共に過ごした……、友情の日々は消えない」
「君は、本当に自ら望んで国に帰るのか? やっぱり君は、僕の前でずっと恋人のふりを続けてきたと?」
奥で扉が開いた。
駆けてくる足音が聞こえ、それがピタリと立ち止まる。
「オランド……」
「アデルさま」
彼に近づこうとした私に、ノアが叫んだ。
「アデル! 行くな。ここに残ってくれ。僕は君を愛している」
「ノア……」
振り返ってはだめ。
私は真っ直ぐに前を向き、オランドの腕にしがみつく。
こぼれ落ちる涙を、ノアにだけは見せてはならない。
「……。母に、会いたいの」
私はオランドの腕の中で、そっと左手で右の耳に触れる。
彼はしっかりと私を抱きしめた。
「ノアさまには我々一同、大変深く感謝をしております。このご恩は、決して忘れません」
そう言うと、彼はノアの前にひざまずき、頭を下げた。
臣下が主人に示す、服従の礼だ。
私も彼の後ろで同じようにひざまずき、頭を下げる。
「……。それが、君たちの答えか」
「長い間、大変ありがとうございました」
私からの、最後の言葉を聞き届けると、ノアは背を向けた。
去って行く、彼の足元と靴の踵だけが視界に残る。
やがてそれも、すぐに涙でにじんでしまった。
足音が聞こえなくなっても、そこから動くことが出来ない。
「アデルさま」
オランドに支えられ、私はようやく立ち上がる。
流れる涙を拭った。
「もう終わりましたよ。お疲れさまでした。今夜はもう、ゆっくりお休みください。明日の昼前には、ここを発ちます」
「ありがとう、オランド。あなたのおかげで助かったわ」
彼は静かに微笑むと、私を部屋まで送り届け、その扉を閉めた。