第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第4話
「頬に髪がかかってるよ」
「もう1曲踊りたいな。ねぇ、ダメ?」
挨拶に訪れる方たちが現れるたびに、腰に回した手で体を引き寄せ、頬に触れ、額と髪とこめかみにキスをする。
「僕の大事なアデルだからね、これからもよろしく頼むよ」
延々と続くこの状況に、さすがの私も笑顔が引きつってきた。
こっそり抗議の視線をぶつけても、今日のノアには全く効果がない。
「あ、あそこに君の好きなケーキがある。持って来てあげるよ」
ようやく体が離れた。
ノアは皿の上のケーキをフォークで切り分けると、それを私に差し出す。
「はい。あーん」
なんだかもう色々、恥ずかしいを通りこして諦めた。
周囲はもうとっくに見飽きたようで、気にしてもいないみたいだ。
仕方なく口を開けたら、そこにケーキがねじ込まれる。
チョコレートの甘さが口いっぱいに広がった。
「これ食べたら、帰るからね」
「どうしたのアデル。もう疲れたのかい? なんならそこのテラスに座って、お茶にしようか」
まだケーキを食べさせようとするノアに、私はグッと頬を寄せた。
「か、え、る、か、ら!」
「あぁ、分かったよ。つれないなぁ~」
そう言いながらも、やっぱりフォークに突き刺したケーキを差し出す。
こうなったらもう、ヤケクソだ。
私は誰もが見ている前で、平然とそれを平らげた。
「まぁ、おいしい。私にはもう、十分すぎますわ」
「まだまだだよ、アデル。せっかくの機会なんだ。君はめったにこういうところには顔を出さないじゃないか。もっと楽しんで行こうよ」
「ですが、私のような者は、ここでは場違いですので……」
そんなこと、この毎年開かれてる馬術大会にしたって、私の参加をノアが許可出さないだけじゃない。
まぁ、私もあんまり出たくないから、そこは助かってるけど!
「またそんなことを言う。本当に君はしょうがないな」
だけど今日はもう、これ以上我慢出来ない。
私はノアの腕に自ら腕を絡めると、彼を引っ張りあくまでさりげなく、入ってきた扉に近寄る。
控えの役に合図を出した。
「アデルさま、ご退出にございます」
その言葉に、会場にいる全員が振り返り、拍手が起こった。
私たちは並んで挨拶をすると、ようやく扉が開かれる。
そこを通り抜け、再び閉じられた瞬間、私は彼からパッと離れた。
「ねぇ、これでもう大丈夫? アーチュウ選手や、オスカー卿の迷惑にはならない?」
何となく、ノアと体を密着させていた部分のドレスを整える。
自分で蒔いたタネとはいえ、ノアも酷い。やりすぎ。
「……。うん。上出来だよ、アデル」
「そう。ならよかった」
彼からの言葉に、ほっと胸をなで下ろす。
ノアとは、いつもやっていることとはいえ、今日は妙に恥ずかしい。
ヘンじゃなかった? ちゃんと出来てた?
正装したアーチュウ選手から受けた、キスを思い出す。
その手をぎゅっと自分の胸に抱き寄せた。
ノアはそんな私をじっと見ている。
「ねぇアデル。僕にもう、こんなことをさせないでくれ」
さっきまではしゃいでいた彼が、一変してその声のトーンを落としている。
「わ、悪かったわ。ごめんなさい」
やっぱり怒ってるんだ。
私の対応が気にくわなかったのね。
彼の機嫌を損ねてはいけない。
慌ててその手を後ろに隠した。
「もう、あんなことされても、軽々しく受け取ったりなんかしない。次からはちゃんと、キッパリ断るね」
それでもまだ、ノアは沈んだままだ。
「ご、ごめんなさい」
「……。アデルは、今日は楽しかった?」
「え? なにが?」
「今日の……、おでかけは」
「え、えぇ。それなりに、楽しかったよ」
また顔が赤くなる。
今日の私は、本当におかしくなったみたいだ。
表情に出してはいけないのに、ノアの前なのに、あの花はまだしおれずに咲いているかしら。
「アデル」
ノアが近づく。
頬に伸ばされた手に、私はハッとして触れられる前に顔を上げた。
「ごめんなさい。ノアにはノアの立場があって、そうしなきゃいけないって、分かってるの。ごめんなさい。私が変なことしたから……」
だけどあの花は、どうしても受け取っておきたかったの。
「……。いや、そんなことは、どうだっていいんだ。今日は僕が……」
「ノ、ノアだって! べ、別にやりたくてこんなことをやってるワケじゃないし。これも全て誰かのため、ううん。私の立場を守るためなのよね。い、いつも気にかけてくれて、あ、ありがとう」
ノアの手が私のこめかみにそっと触れ、赤茶色の髪をかき上げた。
そんな彼に、慌ててにっこりと最上級の笑顔を向ける。
これが私に出来る精一杯の償いだ。
「私、ちゃんとあなたの望むような、婚約者やれてた?」
「うん。バッチリ。とても上手だったよ」
「ホントに? 平気?」
「うん。いつもありがとう。僕も助かってるよ」
もう帰らないと。
二人きりになることを、極力禁止されている。
これ以上遅くなっては、私もノアも叱られてしまう。
だけどそれ以上に、今は彼と二人きりでいることが気まずい。
「じゃあ、もう行くね」
「気をつけて」
「ノアはこれからまた、パーティー会場に戻るんでしょう?」
「僕も、そうしなきゃならないからね」
「そっか」
迎えの馬車まで、彼は見送ってくれた。
「じゃあね」
互いに手を振って別れる。
ようやく一人になった馬車の中で、私の胸はまだドキドキしていた。
ノアが今日はちょっと怖くて、変だったこと。
アーチュウ選手から渡された花が、とても可憐で美しかったこと。
オスカー卿のお城を出て、王宮へ向かう帰路へつく。
この馬車に乗っている間だけは、私の時間だ。
遠く広がる草原に見える馬場に、つい目がいってしまう。
だけどそれもすぐ建物に遮られ、見えなくなってしまった。
夢から覚めたみたいだ。
さっきまであれほど賑やかだった馬場に、今はもう誰もいない。
空っぽだ。
車窓の風景は、賑やかな街並みから静かな王宮の庭へと変わる。
館に着いた私を待っていたのは、セリーヌだった。
「アデルさま! 何という失態をしでかしたのですか!」
「なぁに? ノアのこと?」
馬車を降りるなり、やっぱり叱られる。
「ノアさまのこともそう! 騎手のこともそうです!」
「いいじゃないの。もう冗談ってことに、なってるんだもの」
私は他の侍女たちに手伝ってもらいながら、服を着替える。
「そもそも、あなたはこの国の人間ではないのですよ」
「えぇ、分かってるわ」
また始まった。
ここへ来た10歳の時から、延々と聞かされているセリーヌのお説教だ。
「あなたの役目は、この国の貴族たちに決して負けない知識と教養を身につけ、自分たちの誇りと尊厳を守ることです。それが何ですか? 婚約者のいる身でありながら、他の男性からのプロポーズを受けるなど!」
ようやくコルセットが外れた。
あまりの出来事に、今日はずっと緊張していたのかもしれない。
すぐさまソファに寝転がる。
「大丈夫よ。ノアとはつかず離れず、上手くやってるわ」
「……。後々、辛い思いをするのは、他でもないあなたなのですよ、アデルさま。お気を強く、しっかりと持ち、流されてはいけません。決して気を許してはダメなんです」
「そうね、ありがとうセリーヌ。あなたにはいつも感謝しているわ」
私が両腕を広げると、彼女は諦めたようにため息をついてから、ハグに応えた。
私は彼女の、年老いた小さな体を抱きしめる。
私がここでなんとか留まっていられるのも、セリーヌがいてくれたおかげだ。
「ね、いただいたお花はどこ?」
人知れず、野に咲いていた黄色い花は、小さなガラス瓶に生けられていた。
「押し花にしてもいいかしら。素敵なお花ですもの。見たことのない花だわ」
「野草の花ですからね。この王宮では、決して咲かない花です」
「すぐに抜かれて捨てられるから? 花の咲く前に?」
「そうでしょうね」
「ね、やっぱり押し花にしましょう。しおりがいいわ。いいでしょう? セリーヌ」
「……。お好きになさってください」
侍女たちが、重しとなる本を集めてくれた。
紙の上に、丁寧にその花びらを広げる。
「私のことを、好きだって言ってくれた、初めての方から頂いたお花なのよ」
「……。それは、よろしゅうございましたね」
何重にも重ねた紙の上から、本を重ねてゆく。
「この重しの下で、きれいな花として残るのね」
「放っておいてはいけません。それなりのお世話が必要です」
「それは任せて。そういうの、実は結構得意なの」
お茶が運ばれてくる。
私は花の上に積み重なった重しを見ながら、静かに微笑んだ。
「もう1曲踊りたいな。ねぇ、ダメ?」
挨拶に訪れる方たちが現れるたびに、腰に回した手で体を引き寄せ、頬に触れ、額と髪とこめかみにキスをする。
「僕の大事なアデルだからね、これからもよろしく頼むよ」
延々と続くこの状況に、さすがの私も笑顔が引きつってきた。
こっそり抗議の視線をぶつけても、今日のノアには全く効果がない。
「あ、あそこに君の好きなケーキがある。持って来てあげるよ」
ようやく体が離れた。
ノアは皿の上のケーキをフォークで切り分けると、それを私に差し出す。
「はい。あーん」
なんだかもう色々、恥ずかしいを通りこして諦めた。
周囲はもうとっくに見飽きたようで、気にしてもいないみたいだ。
仕方なく口を開けたら、そこにケーキがねじ込まれる。
チョコレートの甘さが口いっぱいに広がった。
「これ食べたら、帰るからね」
「どうしたのアデル。もう疲れたのかい? なんならそこのテラスに座って、お茶にしようか」
まだケーキを食べさせようとするノアに、私はグッと頬を寄せた。
「か、え、る、か、ら!」
「あぁ、分かったよ。つれないなぁ~」
そう言いながらも、やっぱりフォークに突き刺したケーキを差し出す。
こうなったらもう、ヤケクソだ。
私は誰もが見ている前で、平然とそれを平らげた。
「まぁ、おいしい。私にはもう、十分すぎますわ」
「まだまだだよ、アデル。せっかくの機会なんだ。君はめったにこういうところには顔を出さないじゃないか。もっと楽しんで行こうよ」
「ですが、私のような者は、ここでは場違いですので……」
そんなこと、この毎年開かれてる馬術大会にしたって、私の参加をノアが許可出さないだけじゃない。
まぁ、私もあんまり出たくないから、そこは助かってるけど!
「またそんなことを言う。本当に君はしょうがないな」
だけど今日はもう、これ以上我慢出来ない。
私はノアの腕に自ら腕を絡めると、彼を引っ張りあくまでさりげなく、入ってきた扉に近寄る。
控えの役に合図を出した。
「アデルさま、ご退出にございます」
その言葉に、会場にいる全員が振り返り、拍手が起こった。
私たちは並んで挨拶をすると、ようやく扉が開かれる。
そこを通り抜け、再び閉じられた瞬間、私は彼からパッと離れた。
「ねぇ、これでもう大丈夫? アーチュウ選手や、オスカー卿の迷惑にはならない?」
何となく、ノアと体を密着させていた部分のドレスを整える。
自分で蒔いたタネとはいえ、ノアも酷い。やりすぎ。
「……。うん。上出来だよ、アデル」
「そう。ならよかった」
彼からの言葉に、ほっと胸をなで下ろす。
ノアとは、いつもやっていることとはいえ、今日は妙に恥ずかしい。
ヘンじゃなかった? ちゃんと出来てた?
正装したアーチュウ選手から受けた、キスを思い出す。
その手をぎゅっと自分の胸に抱き寄せた。
ノアはそんな私をじっと見ている。
「ねぇアデル。僕にもう、こんなことをさせないでくれ」
さっきまではしゃいでいた彼が、一変してその声のトーンを落としている。
「わ、悪かったわ。ごめんなさい」
やっぱり怒ってるんだ。
私の対応が気にくわなかったのね。
彼の機嫌を損ねてはいけない。
慌ててその手を後ろに隠した。
「もう、あんなことされても、軽々しく受け取ったりなんかしない。次からはちゃんと、キッパリ断るね」
それでもまだ、ノアは沈んだままだ。
「ご、ごめんなさい」
「……。アデルは、今日は楽しかった?」
「え? なにが?」
「今日の……、おでかけは」
「え、えぇ。それなりに、楽しかったよ」
また顔が赤くなる。
今日の私は、本当におかしくなったみたいだ。
表情に出してはいけないのに、ノアの前なのに、あの花はまだしおれずに咲いているかしら。
「アデル」
ノアが近づく。
頬に伸ばされた手に、私はハッとして触れられる前に顔を上げた。
「ごめんなさい。ノアにはノアの立場があって、そうしなきゃいけないって、分かってるの。ごめんなさい。私が変なことしたから……」
だけどあの花は、どうしても受け取っておきたかったの。
「……。いや、そんなことは、どうだっていいんだ。今日は僕が……」
「ノ、ノアだって! べ、別にやりたくてこんなことをやってるワケじゃないし。これも全て誰かのため、ううん。私の立場を守るためなのよね。い、いつも気にかけてくれて、あ、ありがとう」
ノアの手が私のこめかみにそっと触れ、赤茶色の髪をかき上げた。
そんな彼に、慌ててにっこりと最上級の笑顔を向ける。
これが私に出来る精一杯の償いだ。
「私、ちゃんとあなたの望むような、婚約者やれてた?」
「うん。バッチリ。とても上手だったよ」
「ホントに? 平気?」
「うん。いつもありがとう。僕も助かってるよ」
もう帰らないと。
二人きりになることを、極力禁止されている。
これ以上遅くなっては、私もノアも叱られてしまう。
だけどそれ以上に、今は彼と二人きりでいることが気まずい。
「じゃあ、もう行くね」
「気をつけて」
「ノアはこれからまた、パーティー会場に戻るんでしょう?」
「僕も、そうしなきゃならないからね」
「そっか」
迎えの馬車まで、彼は見送ってくれた。
「じゃあね」
互いに手を振って別れる。
ようやく一人になった馬車の中で、私の胸はまだドキドキしていた。
ノアが今日はちょっと怖くて、変だったこと。
アーチュウ選手から渡された花が、とても可憐で美しかったこと。
オスカー卿のお城を出て、王宮へ向かう帰路へつく。
この馬車に乗っている間だけは、私の時間だ。
遠く広がる草原に見える馬場に、つい目がいってしまう。
だけどそれもすぐ建物に遮られ、見えなくなってしまった。
夢から覚めたみたいだ。
さっきまであれほど賑やかだった馬場に、今はもう誰もいない。
空っぽだ。
車窓の風景は、賑やかな街並みから静かな王宮の庭へと変わる。
館に着いた私を待っていたのは、セリーヌだった。
「アデルさま! 何という失態をしでかしたのですか!」
「なぁに? ノアのこと?」
馬車を降りるなり、やっぱり叱られる。
「ノアさまのこともそう! 騎手のこともそうです!」
「いいじゃないの。もう冗談ってことに、なってるんだもの」
私は他の侍女たちに手伝ってもらいながら、服を着替える。
「そもそも、あなたはこの国の人間ではないのですよ」
「えぇ、分かってるわ」
また始まった。
ここへ来た10歳の時から、延々と聞かされているセリーヌのお説教だ。
「あなたの役目は、この国の貴族たちに決して負けない知識と教養を身につけ、自分たちの誇りと尊厳を守ることです。それが何ですか? 婚約者のいる身でありながら、他の男性からのプロポーズを受けるなど!」
ようやくコルセットが外れた。
あまりの出来事に、今日はずっと緊張していたのかもしれない。
すぐさまソファに寝転がる。
「大丈夫よ。ノアとはつかず離れず、上手くやってるわ」
「……。後々、辛い思いをするのは、他でもないあなたなのですよ、アデルさま。お気を強く、しっかりと持ち、流されてはいけません。決して気を許してはダメなんです」
「そうね、ありがとうセリーヌ。あなたにはいつも感謝しているわ」
私が両腕を広げると、彼女は諦めたようにため息をついてから、ハグに応えた。
私は彼女の、年老いた小さな体を抱きしめる。
私がここでなんとか留まっていられるのも、セリーヌがいてくれたおかげだ。
「ね、いただいたお花はどこ?」
人知れず、野に咲いていた黄色い花は、小さなガラス瓶に生けられていた。
「押し花にしてもいいかしら。素敵なお花ですもの。見たことのない花だわ」
「野草の花ですからね。この王宮では、決して咲かない花です」
「すぐに抜かれて捨てられるから? 花の咲く前に?」
「そうでしょうね」
「ね、やっぱり押し花にしましょう。しおりがいいわ。いいでしょう? セリーヌ」
「……。お好きになさってください」
侍女たちが、重しとなる本を集めてくれた。
紙の上に、丁寧にその花びらを広げる。
「私のことを、好きだって言ってくれた、初めての方から頂いたお花なのよ」
「……。それは、よろしゅうございましたね」
何重にも重ねた紙の上から、本を重ねてゆく。
「この重しの下で、きれいな花として残るのね」
「放っておいてはいけません。それなりのお世話が必要です」
「それは任せて。そういうの、実は結構得意なの」
お茶が運ばれてくる。
私は花の上に積み重なった重しを見ながら、静かに微笑んだ。