そして消えゆく君の声
 来るはずなかった。

 来たらいいとも思わなかった。

 楽しくないのに、わざわざやって来る必要なんてない。


 一人の時間を大切にしたい、じっくり趣味に打ち込みたい、家族と過ごす時間を大切にしたい。 

 色々な人がいるのだから、あの人も、あの人にとって心地よい時間をすごしているのなら、それ以上のことはない。

 ない、けど。


(幸せを感じる時なんて、あるんだろうか)


 まぶたの裏に、五月からずっと見上げてきた横顔が浮かぶ。

 いつもうつむいて、
 何も言わなくて、
 傷だらけで。

 決してあたためられない両手だけが、過去に触れられるのだとでも言うように。

 それが、そうやって生き続けることが望みなんだろうか。

 びゅうと吹き上がった風に、くしゃみが重なる。


 戻ろう。


 行き場のない気持ちを断ち切ってきびすを返すと、ちょうど扉から出てきた橋口くんと鉢合わせになった。
 
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