そして消えゆく君の声
「去年の五月くらいからかな。最初は、それもいいかなと思ってた。友達ができて、あの子の人生が豊かになるのは悪くないと。前にもそういうことはあったし」


 時折のぞく歯列標本みたいに整った歯並びは、けれど、噛み合わない歯車に見えた。

 落ち着いた声も、言葉も、聞けば聞くほど違和感を強くする。


「君が幸記くんに会っていることにも気づいていたけど、それはどうでも良かった。彼は大それたことをできる人間じゃないし、その力もない。彼と君が親しくなることで秀二と彼の関係が希薄になるのではという目論見もあって……これは、外れてしまったけど」

「せ、先輩の言っていること、わかりません。そもそも黒崎くんがどうするかは、黒崎くんの決めることですし、その」

「彼はいつか秀二につらい思いをさせるから、先に芽を摘みたかった。あの子を、秀二を守るのが、兄としての務めだから」


 優しい、優しい、平坦な声。

 私は奥歯を噛みしめた。言い様のない不快感が胃から喉へとせり上がってきて、数秒後、それが強い息苦しさだと気付く。


(これが)


 これが、黒崎征一さんという人なんだ。

 歪んだ方法で弟を守ろうとする人。それが歪みであると理解する術を失った人。


 きっとこの人の中の『黒崎秀二』は、あの事故の前で止まっている。


 変わらない、変われない瞳に映る弟の幸福を探し求める内に何かを間違えた。
 
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