そして消えゆく君の声
「秀二は――いつも、悲しそうだった。何を言っても笑わなくて、よく階段に座り込んで泣いていた。何が幸せなのか訊ねても答えてはくれなくて、自分では駄目なのかと諦めかけていた時、誤ってあの子に怪我をさせてしまった」

「…………」

「その時、本当に久しぶりに、あの子が笑うのを見たんだ。安心したような、嬉しそうな顔。僕はずっと弟のそんな笑顔が見たいと思っていたから、奇跡が起こったような気分だった」

「それは……」

「痛みを与えることは野蛮で、非難されることだよね。僕達の父親は愛と称してそういった行動を取ることが多くて、僕は頭を悩ませていた……と思うのだけど、きっと秀二は父がもたらすような愛を求めていたんだろうね」


 違う。


「一般的な倫理に照らし合わせれば、僕は間違った行動をしているのかもしれない。でも秀二が笑うのは、あの時だけだから。弟の幸せは僕でないと実現できないし、僕も、あの子がいないと幸せになれない」


 違う。
 違う。

 そう言いたかった。
 それは幸福の笑みじゃない。

 征一さんの与えた痛みはきっと、黒崎くんが求め続けた『罰』だった。


 消えない傷を負った兄による痛み。何の報いも受けなかった身体を蝕む傷。 

 ほんの少し償えたと思ったのかもしれない。奪った怒りを叩きつけられて安堵したのかもしれない。


 けれど、幸せとは程遠い笑顔は征一さんに決定的な誤解を与えてしまった。


 これは正しい愛情表現なのだと。
 これこそが、黒崎くんに幸せを与えられるのだと。 

 歯車を失った心は、ひとつの行き違いからどこまでも破綻していった。
 
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