そして消えゆく君の声
 花の匂い。小さな手。初めて見た笑顔。春のやわらかな空気。夏の陽射し。川のせせらぎ。夜を照らすホタル。色付く秋。枯葉の音。前を歩く弟の長く伸びた影。名前を呼ぶ声。

 かけがえのない人の一生を踏みにじってから、ずっと明けない夜を歩いているのだと思っていた道の端々で、ごまかしようのない光がまたたいている。


 全部奪って、全部なくして。
 それでもずっと目の前にあった世界。
 五感に残る色彩。

 二度と触れられなくなっても永遠に心に刻まれる記憶の、ぬくもりの温度。



 それを何と呼ぶのかを、俺は知っている。
 

 
 思い至った瞬間、見えない膜のようなものが急激に膨らんで弾けた。
 
< 370 / 401 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop