そして消えゆく君の声
「もう五時半だ、そろそろ帰るか」

「あ、そう……だね」

「日原、鞄は」

「大丈夫、となりに置いてるから」


 美術室の机に置いていた鞄を持って廊下に出ると、黒崎くんは壁にもたれて携帯を操作しているところだった。

 目が合った瞬間、顔に広がった気まずそうな表情。


(待っててくれたのかな)


 と浮かれかけて、すぐにその発想はポジティブすぎると冷静になる。待っていたより帰りそこねたのほうが正しいだろうから。

 でも、ささやかな成り行きが嬉しい。携帯をしまってこっちを見てくれたのが、どうしてこんなことくらいでって思うほど。


 かけ足の鼓動が、新しい気持ちを連れてくる。


「あの、お待たせしました」

「……別に待ってたわけじゃ」

「黒崎くんって、送迎の車には乗らないんだね」

「乗るわけないだろ。大した距離でもないのに、馬鹿らしい」


 階段を下りながら交わす会話はごくごく普通で、さっきの淘汰の話が嘘みたいだ。

 かつ、と靴が鳴る音が重なるたびに、心まで近付くような気がして。


「黒崎、くん」

「何」

「ありがとう。今日、手伝ってくれて」

「…………」


 人のいない外廊下。数歩先を歩く黒崎くんは、すこし、ほんのすこしだけ視線を伏せて。


「別に。借り、返しただけだから」
 
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