そして消えゆく君の声
「いらっしゃい、要の知り合いだよね」


 分厚いガラスの扉を開くと、すぐに店員さんらしき男の人に声をかけられた。

 年は、多分20歳すぎくらい。しわのない白いシャツに、黒のパンツと胸当てのないエプロン。

 真ん中でわけられたくせのない黒髪と、ゆるやかに細められた目が清潔そうだった。


「はい、あの、日原と言います」

「日原さんね。要、奥のテーブルにいるから」


 細いあごが示すのは、ちょうど物陰になっていて見えない壁際の席。

 抑えた照明にてらされる鈍色の壁に、ぼんやりと人影がうつっていた。


「ありがとう、ございます」

「今準備中でさ、俺しかいないからゆっくりしてよ」


 笑うと少し八重歯が覗く。

 気さくな、でも馴れ馴れしくはない声は、身体中をしめつけていた緊張の糸をすこしだけほどいてくれた。




 キョロキョロと、落ちつかなく左右に動く視線。

 間口が狭く奥行きの広い店内は、今まで私が訪れたことのない雰囲気の場所だった。

 検索をしてもほとんど情報は出てこなくて、わかったのは短い外国語の店名が「どん底」という意味であることだけ。


 錆びついた金属質の壁に、船の機関室を連想させる奇妙な装置。

 天井に張り巡らされた配管の隙間から差し込む照明を見上げると、自分が深い海の底にいるような気分になる。
 
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