月がてらす道
いかにも迷惑そうな様子のみづほと、それを気に留めずくだけた口調で腕をつかまんばかりに接近している本庄。二人が目に入った瞬間、尚隆の足は反射的に動いていた。私物を机に置いたまま。
「すみません、聞きそびれてた質問があるんですけど、聞いていいでしょうか」
「──あ、かまいませんよ。ではそういうことなので、お話はここまでにしてください」
「…………」
あからさまに不満げに表情をゆがめ、それでも話を続けるのは今は難しいと思ったのか、本庄は離れていった。去り際に、何か言う代わりに聞こえよがしな舌打ちを残して。
「ごめんなさい、何でしょうか」
「ええと、この項目のここ──」
考えていなかったので若干焦りつつ、尚隆は質問の演技を続ける。振り返りながら去っていく本庄が、こちらの声が聞こえない距離に歩いていくまで。
「ここは──で、こちらのパターンになるので──なんです。わかりましたか?」
「はい。……悪い、もしかして迷惑だったかな」
「……ううん、助かった。ありがとう」
演技をやめた後はお互い小声で、本音を言い合う。もっともすでに、会議室には誰もいなかったのだが。
「じゃあ、仕事あるから。ほんとにありがとう」
尚隆の返答を待たず、資料とノートパソコンを抱え、早足でみづほは出て行く。その背中を、尚隆は自分でもよくわからない、複雑な気持ちで見送った。
その日、尚隆の全ての仕事が終わったのは夜8時過ぎだった。転職してからの残業最長記録更新である。セミナーに出ていた時間にたまっていた作業はさほど手間取らなかったのだが、終業時間直前に顧客からの急ぎの見積もりが入ってきてしまい、結果こんな時間までかかってしまった。
タイムカードを専用レコーダーに差し込んで打刻し、1階まで降りると、当然ながら正面玄関は閉まっている。通用口に回り、守衛の男性に挨拶をして扉を開けようとした時、後ろから小走りに駆けてくる足音に気づいた。
「……あ」
「──、ああ。お疲れさま」
みづほだった。同じく守衛に挨拶をし、尚隆の脇をすっと抜けて出入口のドアを開ける。閉まる前にと、慌てて後を追った。
外へ出ると、昼間のじわりとした暑さは去ったようで、風が涼しい。できれば一年中、こんな感じの気候であればいいのになと、人一倍暑さが苦手な尚隆は思う。
「なに?」