月がてらす道
会社が入っているビルのロビーや、エレベーターで遭遇した時でもそうだ。以前は普通に挨拶ぐらいはしていたのに、あれ以来、遠目ではもちろん位置が近い時でも、すっと手を挙げるか軽くお辞儀をするかのみで、口は閉ざしている。まるで、こちらと話すことを徹底的に避けるかのように……いや実際、徹底的に避けられているのかもしれなかった。
何か、しただろうか? 考える限り、尚隆に覚えはない。少なくとも彼女と再会してからのこの半年においては。
あえて言うならば、昔のことかもしれないが──やはり、みづほにとっては、あの出来事はトラウマになっているのだろうか。いまだに口にされる、彼女が「できない女」だという噂。どうしたって引っかかってしまう。
それが事実であるのならば、あれが原因となっているのならば、自分は彼女に近づくべきではないのかもしれない。尚隆が中途入社すると知った時、みづほはどう思っただろう。厄介の種、トラウマの原因が身近に来るなんて、と拒絶反応を感じたのではないか。
それを押し隠して接していたものの、どこかの時点から耐えられなくなって──本庄とのいざこざを知られたあたりから、みづほの中では落ち着かない思いがあったのではないだろうか。
あくまでも想像だが、想像だけでは済まないような気がする。尚隆はあらためて後ろめたさを感じた。
……だが、それと同時に、別の思いも頭をもたげる。
みづほに近づきたい、という感情。
思慕なのか──あるいは、欲望なのか。
どちらか一方か、どちらの比率が多いのか、自分でも正直わからない。確かなのは、みづほとの距離を縮めたい、触れ合いたい、抱きしめたいという思いが、日に日に強まっているという事実だった。
数日後。
「じゃ、お先に。早く帰れよ」
「はい。お疲れさまでした」
営業2課の課長が退社して、尚隆はフロアに一人になる。
得意先へ週明けに持って行かねばならない、提案書と在庫一覧表がまだできていなかったのだ。昼間に急な注文が立て込み、発注と梱包の作業に時間を取られたためだった。
……ようやく、書類を作り終えた時には、9時を回っていた。深く息をつき、座ったままで背伸びをする。今週は8時より前に終われない日が続いたので、明らかに疲労がたまっている感覚があった。明日が休みだからまだ、多少の解放感はあるのだが。