月がてらす道
ともあれ、早く帰ろう。パソコンの電源を落とし、書類をまとめて決裁が必要なものは課長のデスクに置き、一部点けていた照明を消してエレベーターホールへ向かう。
その時、エレベーターではなく階段を使って下りよう、と思ったのは単なる気まぐれだったのか。そして、8階の非常扉の前で立ち止まり、フロアの様子を見てみようと思ったのは、虫の知らせのようなものだろうか。
自分でもわからないまま、尚隆は鉄製の重い扉を開いて、システム課の部屋から光が漏れているのに気づいた。
誘われるように廊下を歩いて、その部屋のドアを開ける。うかつにもノックをせずに。
当然ながら、中にいた人物──みづほは、非常に驚いた顔で振り返った。驚きすぎてすぐには言葉も出ない様子に、たちまち後悔が湧き上がる。
「…………びっくりした。どうしたの、こんな時間に」
「──そう言う須田こそ、こんな時間まで何してんの」
「何って、もちろん仕事よ。月次の報告書とか、いろいろあるから」
「だからって……まさか毎日、こんな時間まで?」
「毎日じゃないけど。主任って意外と雑務があって忙しいから」
笑いにまぎらせてみづほは言うが、声には疲れがにじんでいる。無意識なのか、速いまばたきを繰り返す様子は、眠気をこらえているようにも受け取れる。
相当疲れているんじゃないか、という心配とともに、そういえばこんなふうに話をするのは久々だな、と思って自然と喜びが湧いてくる。先ほどの後悔も押しのける、その喜びの大きさに、尚隆はいくぶん戸惑った。
「……とにかく、今日はもう帰った方がいいんじゃないか。俺も帰るとこだし、駅まで送るから」
提案に、みづほは戸惑ったように目を見開いた。わずかに眉を寄せているようにも見えるが、顔には照明で陰ができていてよくわからない。
「──ありがとう、でも明日休みだから、区切りつけてからにする」
と、再び笑って言うみづほだったが、どことなく笑みが引きつっている……気がする。無理をしているのか、あるいは尚隆に早く去ってほしいのか──またはその両方か。
急激に、居心地が悪くなってきた。焦りで言葉がほとばしる。
「じ、じゃあなんか飯、買ってくる。夕飯まだだろ」
「えっ、そんなの別に気にしなくて」
「いやいいから。コンビニ近いから」