月がてらす道
 キーボードから指を離し、脇に置いていた眼鏡をかけてから、見上げるやわらかい笑みの主は。
 「久しぶりだね、広野くん」
 ……ああ、この笑顔。何年も前の、長らく蓋をしてきた思い出が、記憶の底から吹き上がってくる。

 大学で同期だった、須田みづほ。学部は違うが、運動系のサークルで一緒になって知り合った。
 面倒見が良く真面目なみづほは、幹部だった3年生の頃にはサークルの会計を任されていて、だから会費を払う時などに挨拶程度で話す機会はあった。逆に言えば、それ以外ではほとんど関わりのない女子でもあった。
 なにせその頃の彼女といえば、中身の生真面目さがそのまま表に出たような風貌で、地味の代名詞と言ってよかった。パーマやカラーをまったく施したことがなさそうな長い黒髪を、いつも後ろで一つにまとめて、分厚い眼鏡をかけて。
 服装も、周囲の女子が追いかける流行のファッションの真逆を行くタイプで、学校か会社の制服みたいなブラウスとスカートをしょっちゅう身に着けていた。そんなみづほは誰が見ても地味女子で、それゆえ自分にとって積極的に話しかける対象ではなかった、のが正直なところだ。
 あの頃の自分は、見た目こそ特別派手にしてはいなかったものの、女子からよく声をかけられるのをいいことに、数ヶ月単位で付き合う女子を変える行いを繰り返していたのである。
 高校の頃からそんな調子でいたし、二股をかけたりはしていなかったから、自分では格別「遊んでいる」と思ってはいなかった。しかし第三者から見れば、そう言われても仕方ないレベルではあったかもしれない。みづほみたいなお堅い女子学生には、たぶん、いや間違いなくそう認識されていただろう。
 そんなふうに対照的な自分とみづほだったから、本当に、サークル内で必要な会話を交わす以外での付き合いは、全くと言っていいほどなかったのだ。
 ──大学3年の後期、秋の深まってきたあの日までは。

 その日、尚隆は少し苛ついていた。半年ほど付き合っていた相手と前日に別れたところで、しかも浮気を疑われた挙句に相手の方に浮気されたという、どうにも格好のつかない顛末であったため、気分がくさくさしていた。
 講義に行く気にはなれず、かと言って、サークルの部屋に顔を出して好奇心の種にされるのも気が進まず、サボって中庭のベンチに座っていた時だった。
 「広野くん、どうしたの?」
< 4 / 101 >

この作品をシェア

pagetop