月がてらす道
「君のことは原口くんから聞いているよ。中途採用だが他の社員に引けを取らず、よく頑張っていると。先月と先々月、1課でトップの売り上げだったともね。
実力者ぞろいの1課で素晴らしいと思うよ。さすがエルグレードで働いていただけのことはある」
「……ありがとうございます」
原口とは営業1課の課長で、エルグレードというのが尚隆が1年前まで働いていた、業界大手の総合商社だ。現在も、ブラックな社風は変わっていないとかつての同僚からは聞くが、業績での評価は相変わらず高いらしい。
それはそれとして、確かに前職でもそこそこの成績を上げていた自負はあるものの、こんなふうに上役のさらに上役から手放しで誉められるのは、嬉しさはもちろんあれども面映ゆい。そして、わざわざ誉めるだけのために呼んだとも思いにくい。いったい何なのだろう。
「ところで、話は変わるのだけどね」
来た。先ほどまでの気安さが少し抑えられた口調に、思わず身構える。
「広野くんは今、独身だね」
「? そうですが」
「交際している女性はいるのかな」
そう問われて、反射的に浮かんだ相手。迷ったが、事実ではないと打ち消した。
「……いいえ」
そうか、と安心したような表情と声音。──この話の流れは、もしかして。
「実はね、君に紹介したい人がいるんだよ。うちの娘なんだが」
「お嬢さん、ですか」
「親が言うのも何だけど、いい娘に育ってね。料理が得意でよく食事も作ってくれるんだ。顔もそこそこ見られると思うし、どうだろう」
「どう……とおっしゃいますと」
「会ってみないかということだよ。今年25歳だから、君とは年齢的にも釣り合いがとれるだろう」
は、と相づちを打ちながら「若く見えるけど専務はうちの親とあまり年代変わらないんだな、まあ専務になるぐらいだからそりゃそうか」などと考えていた。
自分に話が持ち込まれると思ったことはなかったが、これはいわゆる、見合いというやつか。しかも会社の重役の娘との。何かのドラマで見たような展開が、どうにも現実感をともなっては感じられない。