月がてらす道
「手洗いにも行きましたよ、その後」
「後でどこに行こうが別にいいんだよ。問題は専務の話。
……ひょっとして、見合いの話とか」
図星を指されて、喉が詰まる。変な音が出るのを抑えられなかった。
「当たりかよ。わかりやすいな、おまえ」
「…………なんで」
「知らないのか? けっこう有名なんだぞ、専務の一人娘。美人で頭が良くて性格もいい、おまけに将来の社長か副社長候補の娘ってんで、大学卒業した時にはうちに入るんじゃないかって、しばらく噂になったし」
「そうなんですか」
「結局、うちには入らずによその企業に行ったけど、入社試験ではダントツの1位だったっていうし、留学経験買われて秘書課にいるらしいから、まさに才色兼備、高嶺の花ってやつだよ。
どうなんだよ、専務が話、持ってきたってことはその子、じゃなくてお嬢さんなんだろ」
ここまでの台詞を、森宮は運転しながら言っている。おまけに最後の質問部分を言い終えると同時に、ハンドルを握ったまま顔を近づけてきた。非常に危ない。
「森宮さん危ないです」
至極当然の忠告を、曲解して肯定の返事とでも受け取ったのか、森宮は前方に戻した顔を悔しそうに歪めた。
「なんだよもー。何でおまえばっかりに美味しい話が回ってくんだ。主任さんといいお嬢さんといい」
「主任さん?」
「大学ん時の知り合いなんだろ。そんでちょっと付き合ってたって聞いたぞ、こないだだっていいカッコして」
「いや、付き合ってたわけじゃ。単なるサークル仲間で」
「どっちだっていいんだよ。おまえばっかり美人とお近づきになるチャンスが回ってくんのが問題なの。俺だって、おまえが来る前はしょっちゅう、売り上げ1位取ってたんだぞ。ずっと営業一筋だし、顔だって負けてねーと思うぞ?」
途中まではともかく、最後の部分は何と言っていいかわからなかったが、また前方不注意をされると困るので全部まとめての相槌として「はあ」と返す。
「なのにさあ……ったく、不公平だよなー。新卒で入社した俺より、中途の奴の方が目立つんだもんな。くっそう」
ぶつぶつと、こちらに言うというよりはもはや勝手につぶやき続けている様子に、不安が湧いてきた。
「…………あの、専務の話、確かにそういう話題は出ましたけど、まだ話、されただけですから。会うのOKしたとか、そういうことにはなってないんで、他には言わないでくださいよ」