月がてらす道
言い切ると、みづほはすっと視線を、顔ごとそらした。その仕草と、言い切る前の一瞬の間を、彼女のためらいだと思ったのはこちらの期待に過ぎなかったのか。
「そういうことだから。じゃあ」
念を押すようにそう告げて、みづほは背を向ける。一度たりとも、振り返ったり足を止めたりすることなく、駅の方へと去っていった。
尚隆は、追わなかった。みづほの背中が、角を曲がって見えなくなっても。
「主任、聞きました?」
その日出勤すると、開口一番、後輩にそう言われた。
「田村さんおはよう。何かあったの」
「聞いてないんですか? 昨日からすっごい噂になってますよ」
「だから何が?」
うふふふ、と後輩は意味深な、なおかつ楽しそうに笑いを漏らす。こういう思わせぶりな反応が、みづほはあまり好きではない。女子の友達がいないわけではないが、これまで、噂話の輪には積極的に入ったことがなかった。親しくなるのも必然、同じようなタイプがほとんどだった。人数は多くなかったが、その方が気楽だったのでかまわなかった。
ところで田村嬢は何を言いたいのだろう。みづほが若干、苛立ちを心の奥にちらつかせた頃、ようやく後輩は話し始めた。
「お見合いをするんですって、専務の娘さんと」
「誰が?」
「だから、営業の広野さんがですよ。もう主任ったら」
もうも何も、主語を先に言わなかったのは田村嬢の方で、こちらが(冗談にしても)文句を言われる筋合いは1ミリもなかろうと思った。そのせいで、というかおかげで、感じた驚きと動揺をそのままに表に出さずに済んだ──はずだ。
「……そうなの?」
少なくとも、後輩に応じた声は、少し震えてはいたが平静の範疇に入っていたと思う。田村嬢もそう感じたのか(感じてくれたのか)、やや不満そうに口を尖らせた。
「えーそれだけですか? 気にならないんですか」
「そりゃ、気にはなるけど。昔の知り合いだし」
「じゃなくて、元カレでしょ。元カレが彼女のコネで出世街道一直線、とかなったらやっぱり妬ましくないですか」
「ちょっと待って、田村さん……広野、さんが元カレだって話、どこから出てきたの?」
「やだなあ、皆そう言ってますよ。あんなにかばったのは昔付き合ってたからに違いないって。そうなんでしょ」
くらくらする頭を押さえつつ、なんとかみづほは否定の言葉をつむぐ。