月がてらす道
お互い何も言わないが、会いたくない相手に会った、という思いは一致していたに違いない。挨拶がとっさに出ない、どんよりした空気が物語っていた。
みづほは観念して、席に着く。
コートを着て鞄を持っている様子からすると、外回りからの帰りか、これから行くところなのか。スマホに集中している尚隆の身なりを視界に入れながら、みづほは例の噂に思いを馳せた。
あの噂を田村嬢から聞いてから、2日。たった2日で、噂はすでに社内中に広まっているように感じる。内容のインパクトを考えれば当然かもしれないし──あるいは、羨望や妬みも手伝って、誰かが意図的に広めている、ということもあるかもしれなかった。
周囲の反応としては無理もないだろうし、納得はできる。自分がもし当事者だったらすごく迷惑に感じるだろうとは思うが。
……尚隆は、どう感じているのだろうか。
そもそも、噂は本当なのだろうか。
漏れ聞くところによれば、数日前に尚隆が、営業統括担当の専務に呼ばれたのは確からしい。営業の半井専務といえば切れ者で有名だ──そして、その一人娘も。
2・3年前に、専務のコネで入社するのではないかと言われていた。だが本人が嫌がったのか、専務が身内を贔屓すると思われるのを避けるためなのか、彼女は入社しなかった。代わりにというか、外資系の企業に入り、そこでアメリカ人社長の秘書を務めていると聞く。留学経験があるらしいから英語は得意なのだろう。
その上に、専務がひそかに自慢にするほどの美人で、性格も悪くないらしい。事実なら、絵に描いたような才色兼備の女性だ。
そんな一人娘の見合い相手に、尚隆を選んだということは……言うまでもなく、彼をかなり買っていることに他ならない。部署が違うから直接に知る機会はなかったけど、尚隆が所属する営業1課でなかなかの実績を上げていることは、噂の中で必ず耳にした。前職の大手商社でも成績は良かったらしい。
さらに言うなら、大学もそこそこ名の通った所を卒業しているし(卒業生のみづほが言うのもなんだが偏差値は高い方だった)、風貌も決して悪くない。……いや、昔より落ち着いた分、頼りがいのある社会人としての見た目を確立している。
出世頭として、専務に目を付けられるのも無理はない。
「お待たせしました、本日の定食です」