月がてらす道
たぶん、両親も周りの人間も、澄美子が可愛いあまりに、彼女の要求には百パーセントに近い割合で応じてきたのだ。澄美子自身、ポテンシャルが非常に高く何でもできる女性だから、意に沿わない、希望に反する事例には、これまでほぼ出会わなかったのかもしれない。
「広野さん、聞いてらっしゃいます?」
「え、ああ、聞いてますよ」
「本当に、監督の見識はどうなっているのかって、直接聞いてみたいくらいですわ。メール送ろうかしら。アドレスご存じありません?」
「いやさすがに……それは知らないですね」
話が長くなり時間が経ってきたのと、少し気分を変える目的とで、通りかかった店員に「すみません、ホットコーヒーとレモンティーひとつずつ」とお変わりを頼んだ。
するとすかさず「まあ」と目を見開き、澄美子は言った。
「私、次はミルクティーにしようかと思ってましたのに。頼む時はおっしゃってくださいな。
すみません、レモンティーはミルクに変更してください」
「ああ、失礼しました」
「そもそも男性って、思いこみが強すぎるところがあると思うんです、先ほどの広野さんみたいに。私がレモンティーを飲んでるからって、お代わりも同じだとお思いだったでしょう。そうとは限らないんですよ」
余計なことをしてしまった。澄美子に言質を与えてしまったうかつさに歯噛みする。尚隆のそんな後悔には気づかないふうで、澄美子はさらに話を続けた。
「だいたい、あの男性も、女性の話をちゃんと聞かないからあんなことになって──」
……結局、話が終わったのはそれから1時間半後、午後6時に近かった。
「ごめんなさい、私ってば興奮してしまって。喋りすぎてしまいましたね」
つい十数分前までの勢いが嘘のように、澄美子はしとやかに落ち着いた、普段の「お嬢様」の様子に戻っている。
「でも、楽しかったです。これからどちらに?」
尋ねられたが、正直、尚隆にはもう、今日は澄美子とこれ以上一緒にいたいという気持ちはなくなっていた。ひどく気疲れして、ともかく休みたかった。
「……すみません、今日はここまでで。実は少し風邪気味なので──もちろん、送りますから」
どう言われるかと思ったが、澄美子は意外とあっさり「あら、そうなんですか」と、いくぶん残念そうな色を混ぜて、応じた。
「わかりました。今日は一人で帰ります、まだ早いですし」