月がてらす道
たぶん母は、最初はやはり、尚隆に対して怒りを向けていただろう。それが、みづほが実はきちんと話をしていなかったのだと知って、感情の何割かはこちらへ移行したに違いない。当たり前の、しかたないことではあるけれど。
母が置いていったお茶は、まだ湯気を立てている。長い時間が経ったように思うけどさほどでもないらしい。そんなことを考えていると。
「切ったんだな」
「え?」
「髪」
「……あ、長いと、洗うのも乾かすのも時間かかるから」
お腹が大きくなってきて感じたのは、想像以上に、日常のいろんなことが億劫になる上、やりづらくなることだった。今後は入院も必須だし、髪が長いままでは産後の生活が面倒だろうと思ったので、切ってしまった。学生時代から伸ばしていた髪を短くするのは、愛着があっただけに、少し寂しさも感じたけど。
こくりと、尚隆はうなずきで応じた。予測よりも静かな表情に、かえって不安がつのる。彼が本当に聞きたいのは髪のことではないはずだ。
「お母さんが機嫌悪い理由、わかったよ」
「…………」
「大事な娘を妊娠させた奴が、なんにもわかってない顔で訪ねてきたら、そりゃ気分良くないよな」
母を「お母さん」と尚隆が呼ぶと、非常に変な気がする。広野くんのお母さんじゃないから、と言いたくはなったが、さりとて他にどんな呼ばせ方があるかというと、思いつかない。名前で呼ばせるのはそれこそ妙な話だし。だから黙っていた。
尚隆はひとつため息をつき、ようやく核心を突いてきた。
「なんで、言ってくれなかったの」
「…………」
「こないだ会った時には、もうわかってたんだろ」
もちろん、わかっていた。それどころか、実家に戻る前にもう気づいていた。引っ越しの準備が一段落ついた頃、急に吐き気に襲われることが続いて、ふと生理が遅れていることにも気づき、病院に行った。6週目だと言われた。
当然ながら、どうしようと最初は途方に暮れた。可能性はあるかもしれないと思う時はあったが、考えないようにしていたのだ。できれば何事もなく日が過ぎてほしいと思って。それなのに──実家に帰るまでの日にちは、悩みに悩んだ。