月がてらす道
課内に誰もいなくてよかった、と心底思った。注文ソフト不調の個別対応やお手洗い休憩、タバコを吸う社員の自主休憩がたまたま重なり、一人になっていたのである。
やれやれ、と思うと同時に、お手洗いに行っていたとおぼしき、後輩の女子社員が一人戻ってきた。
「田村さんごめん、チェックの続きやりたいから、電話番お願いできる?」
「わかりました」
後輩の返答に「よろしくね」と手を挙げて応じ、システム保守用のハードが置いてある奥のパーテーション、尚隆が訪室する前まで居た席に戻った。
そこでもう一度、今度は漏れ聞こえないように気をつけながら、ふうと息を吐いた。
──広野くん、なんかちょっと変わった……?
大学時代の印象とは違う彼に、少なからず驚かされた。顔には出さなかった、と思うけれど。
8年前、というか大学を卒業するまでの尚隆は、どちらかといえば「遊んでいる」イメージの強い男子学生であった。サークルの後輩と付き合っているかと思えば、数ヶ月後には見覚えのない女子と仲良く腕を組んでいるのを見かける、そんな感じで。
対して自分は、自慢にも何にもならないが、男性に全く免疫のない女子。学生時代は付き合ったことすらなかった。ことさらに男子を苦手に思っていたわけではなく、だから同級生やサークルの仲間うちではごく普通に会話もできたけど、それ以外の関わりは一度も持ったことがない。尚隆よりも前に、男子を好きになったことは2回くらいあるものの、地味な自分が告白してうまくいくとは思わなかったからアプローチをしたこともなかった。
そんな自分があの時、なぜ誘われたのか。
……たぶんあの日、尚隆は、付き合っていた子と別れたか喧嘩でもしたかで、くさっていたのだと思う。ずっと見ていたから、なんとなく、彼のそういう雰囲気がみづほはわかるようになっていた。
だからきっと、手近にいたみづほに、あんな提案をしてきたのだ。特定の相手はいないだろうし普段付き合う女子とは違うタイプで珍しいし、とかいうふうに思われたかもしれない。
そうだとしても、あの時はかまわなかった。どんなきっかけであれ、彼がみづほに興味を持つなんて機会は今後絶対に無いだろうから──初めての相手が彼になるならこんな形でもいい、と思ったのだ。