狂愛メランコリー
「────菜乃と出会えてよかった。一緒に過ごせて幸せだった」
儚い笑顔は散ってしまいそうで、溶けて消えてしまいそうで、私は思わず踏み込んだ。
彼の背に腕を回す。
その温もりと存在を確かめるように抱き締める。
「……私もだよ。私も、理人といられて幸せだった」
泣かないようにしようと堪えていたのに、つい声が震えてしまった。
本当に最後なんだって認識が身に染みて、嫌でも実感させられる。
「ありがとう……」
理人は淡く笑って、そっと抱き締め返してくれた。
頭に載せられた手はあたたかくて、深く安心出来る。
懐かしいにおいがする。
優しくて、ほっとする。
私のよく知っている理人だ────。
「……でも、もうお別れしないと」
そっと離れ、微笑みを湛えたまま彼は言う。
これから殺されると分かっていても、何一つとして怖くない。
心が満ち足りていた。
「壊したのは、僕だったね」
春の陽射しみたいな、甘い焼き菓子みたいな、この穏やかな世界を。
でも、理人だけじゃなく、私もそうだ。
私たちが狂わせた。
お互いが自分のためだけに繰り返していた。
「ごめんね。僕がいると、君が不幸になる」
ふ、と彼は顔を背けた。
幻想的で、儚くて、寂しげで、綺麗な横顔。
透明な表情。
「……?」
何か、おかしい。
違和感が募っていく。
想定しているのとは違う展開が待っているような、嫌な予感が蔓延り始める。
「理人……?」
背を向けた彼にたまらず呼びかけた。
決然とした足取りで歩を進め、屋上の縁に立つ理人。
彼は振り返る。
私に慈しむような眼差しを注ぎ、そっと微笑んだ。
「────さよなら、菜乃」