狂愛メランコリー

 一瞬の出来事だった。

 背から倒れていった理人が、目の前から消える。

「待……っ!」

 思わず追いかけるように駆け出し、すぐに力が抜けた。

 信じられずに愕然とする感情を差し置き、頭は今起きた出来事を理解しているのだ。

 コンクリートに硬いものが叩きつけられるような音が、耳に届いたから────。

「…………」

 心臓が早鐘を打っていた。

 不規則な呼吸が震える。

 ()い惜しむように“菜乃”と呼んだ、彼の最後の声が頭から離れない。

「花宮……!」

 勢いよく開いた扉から、向坂くんが飛び込んできた。

 どうしてここに、何で分かったの、なんて疑問は即座には湧いてこなかった。

 私は放心状態でその場にへたり込んでしまう。

「……っ」

「おい、大丈夫か? 何があった? 三澄は────」

 傍らに屈んだ向坂くんは慌てながらも私を案じてくれた。

 私は弱々しく腕を擡げ、人差し指を屋上の縁に向ける。先ほどまで理人がいたところに。

 それだけで察してくれた彼は衝撃を受けたように瞠目していたものの、すぐに表情を引き締める。

 そろ、と立ち上がり、縁から下を覗いた。

「!」

 彼が事態を把握したのと、下の方から悲鳴が聞こえてきたのはほとんど同時だった。

 直接目にする勇気は私にはないけれど、血の海に理人が沈んでいるのだろうことは分かる。

「私、も……」

 そう呟き、地面に震える手をついた。

 この結末だって、私が望んだのとは違う。

 こんなの嫌だ。

 理人には死んで欲しくない。なのに、何で────。

(私も死ななきゃ、早く)

 もう一度2日前に戻って、やり直さなきゃ。

 次こそは、うまくやらなきゃ……。
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