狂愛メランコリー

 咄嗟に踵を返し、駆け出した。

「菜乃!」

 驚いたような理人に呼び止められるが、振り向かなかった。

 教室に入ったらすぐに捕まってしまうだろう。

 それでなくとも運動神経のいい理人は足が速いから、簡単に追いつかれるかもしれない。

 けれど、立ち止まることは出来なかった。

 本能が“逃げろ”と危険信号を打ち鳴らしている。

 私は何も考えられないまま、彼を振り切るように廊下を駆け抜けた。



(何だろう、これ……?)

 理人が現れたとき、いつもなら凄くほっとするはずなのに。

 ……怖い。嫌だ。

 今日はそんな感情が沸き立った。

「おわっ」

 駆け下りた階段の踊り場で、ちょうど上ってきた誰かとぶつかりそうになる。

 今の私は周りのことなんてまったく見えていなかった。

「ごめんなさい……っ」

 慌てて謝り、そのまま行こうとしたものの、不意に腕を掴まれた。

 はっとして振り返る。

 理人に追いつかれたのかと思ったが、違った。

 彼は、追ってきてはいなかった。

「おい、大丈夫か? 泣いてんの?」

 向坂くんだった。

 今、ぶつかりそうになったのは彼だ。

 そう言われるまで、涙が浮かんでいたことに気が付かなかった。

 知らないうちにいっぱいいっぱいになっていた感情が悲鳴を上げていた。

 きゅ、と胸の奥が締め付けられる。

「向坂くん……!」

 よかった、彼に会えた。

 寒さにかじかんだようだった心が、ふわりとほどけていく。

 まるで異世界に迷い込んだみたいに不安だったのに、向坂くんの姿を見たら心底ほっと出来た。

「よかった、本当に。向坂くんのこと捜してたの。もう、何が何だか分かんなくて、私────」

「ちょっと待て」

 滲んでいた涙を拭い、要領を得ないながらも話し始めると、彼が冷静に制した。

「その前に……お前、誰?」
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