狂愛メランコリー

 上段の方から現れた向坂くんが、驚いたようにそれぞれに目をやった。

 迷わず歩み出ると、庇ってくれるようにわたしの前に立つ。

「向坂くん……」

 渇ききった喉からこぼれた声は掠れた。
 その大きな背中を見上げると、何だか泣きそうになった。

「何してんだよ」

「……どうせ、聞かなくても知ってるくせに」

 再びパイプを振り上げる。

 とっさの判断で彼に背を向けた向坂くんが、抱き締めるみたいにわたしに覆い被さった。

 振り下ろされたパイプがその後頭部に直撃する。

「く……」

 鮮血(せんけつ)が花弁のように散った。
 小さく(うめ)いた彼は、がく、と膝から床に崩れ落ちる。

「向坂くん!」

 割れた鏡の上に倒れ込んだ彼の肌に、無数の破片が噛みつく。

 慌てて屈もうとしたけれど、それを阻むように理人に捕まった。

「……っ」

 ガッ、と勢いよく首を掴まれ、だん、と背中を壁に押し当てられる。

「う、ぅ……」

 鏡があった位置だ。
 尖った破片があちこちに突き刺さり、鋭い痛みが走った。

 じわ、と滲んだ血が垂れていくのが分かる。

「助け、て。やめて、理人……!」

 縋るように彼を見上げ、首を絞めるその手を掴んだ。

 片手だというのに、ぎりぎりと締め上げる力はやはりわたしの比じゃない。

「……黙れ」

 いままでで一番、冷酷な表情をしていた。

 わたしに“偽もの”と言い放ったことも(あわ)せて、今回のわたしに対しては、強い憎しみを抱いているようだ。

 記憶を持っていながら、理人の求めるわたしじゃなくなったから?

「三澄……」

 うつ伏せに倒れている向坂くんが、力なくも鋭く理人を睨みつける。

 けれど、それが及ぶはずもなく、わたしの首はきつく締め上げられ続けた。

 苦しい。圧迫されて突き刺さった爪が痛い。

 視野が黒く(せば)まって、心臓の音がだんだんと鈍くなっていく。

 理人が放るように離した。
 力が入らなくなっていたわたしは、へたり込むようにして床に落ちる。

 朦朧(もうろう)と鏡の破片の海へ沈み込んでいく。
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