狂愛メランコリー

 わたしのせいで巻き込まれて、殺されるかもしれないのに、そんなことを言ってくれるなんて。

 本当に、彼がいてくれてよかった。

「じゃ、また昼休みにいつもんとこで」

 きびすを返した向坂くんの言葉に、驚いたわたしは思わず「えっ」と声を上げてしまった。

 それは、理人への全面的な反抗にほかならない。

 記憶があるのなら、わたしへの監視も相当厳しくなっているはず。

 振り向いた彼は、それでも挑むような眼差しを注ぐ。

「うまくやるんだろ? だったら、俺も遠慮しない」



 向坂くんと別れて教室前の廊下へ着くと、B組の教室を覗いてみる。

 理人の席の周りには人の輪ができていた。
 見慣れた光景だ。

 いつだって、彼はみんなの王子さまで、灰かぶりのわたしとは住む世界がちがう。

 なのに、どうして────。

「あ、菜乃」

 わたしに気づくと、嬉しそうに顔を上げた。
 輪から抜け出して歩み寄ってくる。

「……理人」

 その瞬間、向けられる憎々しげで冷ややかな視線の数々。

 嫉妬や羨望(せんぼう)、どれもわたしを(うと)ましく思うものばかりだ。

 いすくまるように身を硬くしてしまう。
 いつも怖くていたたまれない。

「おはよう」

 優しい微笑を注ぎながら、理人がわたしの髪に触れた。

「お、おはよ」

 わたしたちのほかには、誰のことも意識にないような振る舞いだ。

 何だろう。
 いつもより少し、距離が近い気がする。

「慌ててたの? 跳ねてるよ」

 確かに今朝は余裕がなかった。
 時間にじゃなくて、精神的に。

「あ……ちょっと、寝坊しちゃって」

 つい照れたように笑いながら、髪を押さえた。

 言ってから後悔する。
 理人は今日も迎えにきてくれたはずだ。

 下手な嘘をつくと追及される。
 隠さなきゃならないことがある、と言っているようなものだ。

「そっか、僕も今日は菜乃にメッセージや電話するの忘れてたからな……。ごめんね」

「え? ううん、全然。珍しいね、理人が忘れるなんて」

 ということは、わたしの家にも寄らずに来たのかもしれない。
 思わず言うと、理人は苦笑した。

「……そうかもね。()()あって、少し疲れてるみたい」

 慈しむようにわたしの頭に手を添えて撫でる。

 あまりに優しくて、錯覚してしまいそうになる。
 彼の殺意や奇妙なループは幻だったのではないか、と。
 そんなわけがないのに。
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