狂愛メランコリー

 はっとした。

 目を開けて声のした方を見ると、渡り廊下に向坂くんが立っていた。

 両手をポケットに突っ込み、苛立ったように険しい表情で歩んでくる。

「目障りだし耳障りなんだよ。さっさと消えろ」

 威圧するように凄まれ、青ざめた彼女たちは逃げるように退散していった。

 呆気にとられる私に、向坂くんが手を差し伸べる。

「……大丈夫か?」

「……うん」

 そっと、彼に手を重ねた。

 その力を借りながら立ち上がる。

 何だか放心してしまい、言葉が出ない。

「あーあ、だいぶ汚れちまってんな」

 向坂くんは土にまみれた私の制服を見て困ったように言う。

 それから、ふと黙って手を伸ばすと、私の頬に触れた。

「わっ」

「……ん、取れた」

 親指で土汚れを拭ってくれたみたいだ。

 突然のことに、心音が加速していく。

 先ほどとは違い、拍動とともに頬まで熱くなる。

 態度も所作も荒っぽくて粗暴に見えるのに、触れた指先は労るように優しかった。

 ……向坂くんらしい。

「あ、ありがとう。助けてくれて」

 揺れる感情をひた隠しにして告げる。

「いや、俺は何もしてねぇよ。お前が頑張ったんだろ」

 弾かれたように顔を上げる。

 彼の双眸を捉える私の瞳が、揺らいでいるのが自分でも分かった。

「言えんじゃん、ちゃんと」

 そこから見られていたんだ。少し気恥ずかしい。

 必死だったから、何を言ったのかもあまり定かじゃない。

「私、が……」

「ああ、よくやった」

 向坂くんが口端を持ち上げ笑った。

 今になって、また視界が滲む。

 振り絞った勇気が実を結び、少しだけ自信に繋がった気がする。

 それは、紛れもなく向坂くんのお陰だ。

 彼がいたから、彼の言葉があったから、私は頑張れた。



 水道でハンカチを濡らし、スカートや肌についた土を拭っていく。

 私のブレザーは向坂くんがはたいてくれていた。

「しっかし大変だな。女子の嫉妬、怖すぎだろ」

「でも、仕方ないの。あれが、理人のそばにいる代償だったから」

 苦く笑いながら言う。

 これまでは、そう思ってずっと耐え忍んできた。

「……三澄は気付いてねぇの?」

 不意に真面目な顔になった向坂くんが尋ねる。

 私は手を止めないまま答えた。

「うーん、どうだろう。気付かれないように努力はしてたけど」
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