狂愛メランコリー
「そっか、何事もなかったならよかった」
「え?」
「ほら、たまに面倒な子たちいるから」
向坂くんとのことを勘繰られたのかと思ったけれどちがった。
それは、理人のことが好きでわたしを目の敵にしている女の子たちのことだろう。
思い至ると、はたと動きを止めた。
「……知ってたの?」
理人の長い睫毛が揺れた。
動じたように瞬き、視線を彷徨わせる。
(……知ってたんだ)
理人には気づかれないようにしていたつもりだった。
嫌な思いをしたって心に蓋をして、ひた隠しに笑っていた。
────ひとえに、理人の隣にいたかったから。
けれど、彼は知っていた。気づいていた。
“面倒な”なんて悪意のある言い方、そうじゃなきゃしない。
ずっと、見て見ぬふりをしていたんだ。
「……ごめん」
やがて、理人が静かに言った。
うつむいた顔に影がさす。
わたしは即座に首を左右に振った。
「謝らないで。理人を責めたいわけじゃないし、わたしにそんな権利ないよ」
窺うように視線を上げた彼に、小さく笑って見せる。
「だって、理人のせいじゃない。嫌な思いしたとしても、わたしは理人のそばにいたかったの」
それはわたしの勝手な望みで、だから彼に助けを求めることがそもそもお門違いだ。
彼が介入すれば余計にこじれるだろうし、必要以上に案じられてはわたしももっと惨めになっていた。
理人なりの優しさだったんだと思いたい。
「菜乃……」
彼は小さく息をつくように、わずかに表情を緩めた。
それから、悄然と眉を下げる。
「僕のこと、嫌いになった……?」
不安気な表情が、幼い頃の彼と重なった。
儚げで寂しげで、ひとりぼっちだった男の子────。
「ならないよ」
迷わずそう答えた自分に驚いた。
どうしてわたし、そう言えたんだろう。
彼はわたしを苦しめて、痛めつけて、何度も何度も殺したのに。
それでも。
理人を“怖い”とは感じても、嫌いになったり憎んだりはできなかった。
「……よかった」
ほっとしたように理人が笑う。
それはわたしのよく知っている、無垢で穏やかで柔らかい、優しい笑顔だった。