Melts in your mouth
「そういや、平野で思い出したけど、平野って向坂に似てるよな。」
「向坂?え、誰それ。」
「嘘だろ忘れてるのかよ。大学時代、サークルでやたら菅田を追いかけてた後輩がいただろ。」
「え…あ…ん?」
「忘れてんのな。」
「薄っすらと記憶はあるようなないような。」
「菅田らしいわ。」
ケタケタと肩を揺らしている向かいの男が放った「向坂」という人物を反芻してみるが、ぼんやりとシルエット的な姿が浮かぶだけでどんな顔立ちでどういう人物だったのかが出てこない。
いたのは覚えている。下の名前も知らないけど、どちらかと言えば控えめな人間だった気がする。眼鏡を常にかけてて前髪も重たかったから顔立ちの印象は殆ど残っていないせいで、余計に記憶がおぼろげだ。
「似てるか?騒がしい平野とは似ても似つかない気がするけど。」
「いや、似てる。アプローチの仕方は違うかもしれないが、菅田への気持ちを全く隠さない感じとか、菅田の為なら何でもやる感じとか…似てんなぁーって思う瞬間が多い。」
「向坂ってどうしてるのかな?」
「俺も知らない。あいつ、菅田以外の人間に興味ないって空気を纏ってたし、誰かとつるんでる所も一度も見た事がなかったからな。ただ、父親が大企業の社長って聞いたことあるからそのまま就職したんじゃね?」
「へぇー御曹司だったんだ。仲良くしておけば良かった。」
「おい。」
「冗談冗談。下心で誰かと仲良くできる程に強かで器用な人間だったら、今こんなに社畜してないわ。」
大学の何処にいても、いつも数メートル先の物陰からこちらを見ていたストーカー向坂を今日の今日まで忘れていた自分が恐くなるが、社会人になってからの激務の日々は、そんな事を思い出す余裕もなかった。
会話を交わす機会もほぼなかった向坂だけど、元気にしているだろうか。私に好意を寄せる物好き人間の一人だった奴の現在が少しだけ気になった瞬間だった。