Melts in your mouth
それにしても平野のせいで変に昼休みの時間を持て余してしまった。面談もなくなった今、私にやるべき仕事がない。かといって、自分から前のめりで仕事を探すタイプでもないし勿論そんな時間があるならば一秒でも多くゲームの敵を殺したいので、自分のデスクの椅子を引いて腰を下ろした。


常備しているビターチョコレートを抓んで口に放り込む。ほろ苦いカカオの香りと、チョコレートの甘さが舌の上で溶けていく。



「……です。」

「ん?」

「永琉先輩のそういう所、つくづく狡いです。」

「はい?」

「変に期待させないで下さい。これ以上……。」



“これ以上、俺をドキドキさせないで貰えます?”



ぐいっと強引に手首を引かれ、縮まった私達の距離。視界を占領するクソイケメンな顔は、こんなに近くで凝視しても毛穴一つ見当たらない。クソッ、羨ましい奴め。前世でどんな徳を積んだんだ。


因みに平野の台詞に対しては、今度は私が拍子抜けする番だった。相手の言っている言葉が心底理解できなくて脳内に疑問符が浮かびまくる。


いつもやけに賑やかなせいか、私と平野しかいないsucré編集部内はとても寂しさに包まれている感じがした。もうすっかり通い慣れたオフィスなはずなのに、まるで全く違う職場に来たかの様な感覚すら抱いた。



舌の上で踊っていたビターチョコレートが完全に溶け切って、甘い余韻だけを残して消え去った。カカオの香りが失せたせいか、平野の香りが一段と強く感じた。



「近いからとりあえず離れろ」そう言ってぐいっとイケメンフェイスを手で押し返したいところだけれど、それができなかったのは、平野が入社以来初めてとも言えるまでに真剣な面持ちを崩さなかったからだ。


急にどうしたん?変な物でも食べてあたったんか?

それ以外に考えられない。ほんの数秒の沈黙を置いて、困り果てながらもあり合わせの回答を口にしようとした刹那だった。



「たっだいまー!あら、永琉ちゃんも平野君ももう戻ってたの?全く頼もしい限りだわ…これからもsucréをどうか宜しくね。」



オフィスに意気揚々と現れた髙橋編集長のおかげで、その場に流れてた絶妙に重い空気が一瞬にして抹殺されたのだった。



「あーあ、イイトコだったのにー。」

「(助かったー。アーメン)」



補足しておくと、その日、私は初めて髙橋編集長に感謝の念を覚えたのであった。


< 29 / 170 >

この作品をシェア

pagetop