Melts in your mouth
この男は常々私の「嫌い」を更新してくるからある意味凄い。これ以上募る事なんてないと思っていた嫌悪感が更に募っていく。このペースだとエベレストを超えるのも時間の問題に違いない。
「先輩の方こそ、たまにはちゃんと俺を見て下さい。」
「見てるじゃん。実際、平野の仕事ぶりは評価して…「嘘つき。」」
甘い吐息交じりの甘い囁きが、耳朶を擽る。私の指を一本一本絡め取った平野の指。そして重なった二人の掌と体温。あ、こいつってこんなに手大きかったんだ、知らなかった。さては骨格ナチュラルか?
…そうやってふざける余裕は生憎私の手元には残されていない。
ここは間違いなく日本なのかと疑う位に手の込んだラブホの独特な雰囲気が、更に私を精神的に追い詰める。
「そういう事じゃないです。先輩に見て欲しいのは、違う所。」
例によって子供さながらな拗ね方をする平野の顔がすぐそこにある。仕事場でのデスクの配置上、こいつの完璧に近い横顔は嫌でも目に入るけれど、こんなにも長い時間正面からこの男の顔を視界に映すのは初めてだった。
平野の息遣いをはっきりと感じる。心臓がドクドクと脈を打っている音も聴こえるし、体温が意外と高いという知りたくもない知識まで脳がインプットしてしまった。
「俺だけを見てよ。」
「…っっ。」
「ちゃんと、俺だけを見てよ永琉先輩。」
分からない。あんたが何を求めているのかがさっぱり分からない。私はあんたを見ているつもりなのに、あんたは違う所を見て欲しいと乞うている。
我儘言ってんじゃないわよと文句の一つや二つ吐き捨てたいのに、喉がギュッと締まって声が出ない。慣れない呼吸と体温とを感じているせいなのだろうか、自分の肉体なのに思う様に反応できない。
ハラリとブラウスの襟が余計に開けて、大きく自らの素肌が露出した。ブラジャーの肩紐が二の腕までズレ落ちている。直したいのは山々だが、手を拘束され、身体の自由までも奪われているせいで叶わない。
「永琉先輩。」
「もう…いい加減にしてってば…何なの。」
空いている手で額にあった髪をそっと掬った相手が、露わになったそこに唇を落としてふわりと頬に靨を作る。靨って、生まれる前に天使に口付けをされた証拠だって漫画の資料を集めてる時に何かの本で読んだ覚えがある。
私の指を絡め取った手に力を込めて強く握り緊める平野は、額に落とされたキスに不満を訴える様な表情を浮かべる私を見て蕩ける様に眼を細めた。