Melts in your mouth
参ったな、近くのコンビニで傘を調達しようにも意外と距離がある。濡れるのは不可避なフラグしか立っていない。地面から弾け飛んだ雨粒が、履いているハイヒールの爪先をあっという間に濡らしていく。
ここで雨宿りしていてもきっと雨足が弱まってくれる事はないだろう。そもそも雨宿りをする猶予なんて毎日始業時間ギリギリを攻めている私には残されていない。
傘を持参しているちゃんとした大人達は、鉛色の雲の下で傘を広げて次々と私の横を通り過ぎていく。畜生、だから梅雨って嫌いなんだよ、降るならこっちの業務時間に降れよな。そんな世界一理不尽な憤りを募らせていると、突然目の前に折り畳み傘が現れて吃驚した。
え?私遂に欲しい物を出現させる青色の猫型ロボット的な能力を身に付けた!?!?…なんて、SFチックな展開があるはずもなく。
「菅田の事だから、どうせ傘忘れたんだろ?」
折り畳み傘を差し出している手を伝って双眸を上昇させれば、できる男の山田が隣に立っていた。
神様なん?こんなにどんよりした天気なのにお前から後光が射して見えるぞ?どんだけ良い奴なんだよ山田。
「使って良いの?」
「ん。俺もう一本折り畳み持ってんの。」
「何でそんな用意周到なの?」
「こういう時の為?」
「どういう時だよ。」
「どういう時って、菅田が困っている時に決まってんだろ。」
「…オカンと呼んでも良いですか。」
「駄目、オカンだったら下心持てねぇじゃん。」
「え、それってどういう…「てか菅田時間大丈夫?俺はかなりヤバいんだけど。」」
自らの腕時計をこちらに向けてくれた相手の一言にハッとした私は「全然大丈夫じゃない。山田傘ありがとう、遠慮なく使わせて頂きます」と言って、山田から受け取った折り畳み傘を開いた。
私の後に続いて山田が鞄から取り出した一本の折り畳み傘を開く。それから会社までの道のりを歩き出した。ここから会社までは徒歩七分くらいだから決して遠くはない。
ポツポツという傘にぶつかる雫の合唱が、大きく耳に響いた。駅の近くに設けられた花壇では梅雨らしい紫陽花が見事に花を咲かせている。
「会社中で噂になってるぞ。」
雨音を切り裂いて届いた声が放たれた方へと顔を向ける。山田は正面を見たままで、横顔しか視界に映らなかった。それでも相手は私がどんな表情と仕草をしているのか分かっている様で、こちらが問い掛けるよりも先に言葉を続けた。