Melts in your mouth
逃げ去るみたいにオフィスを辞したけど、最後に見たあいつはまだ何かを言い足りていない表情を浮かべていた。
げっ、折角の華金だってのに、美味い酒と大好きなもつ鍋を堪能してるってのに、こんな時にまで平野の事を考えるなんて私はつくづくどうかしてる。それもこれもあいつの話を振った山田のせい…「そんな甘い顔すんのやめろよ菅田。」
私の思考回路に割り込んだのは、ジョッキの中で揺れているビールよりもずっと冷たい声だった。伸ばしかけていたお箸の持つ手が自然と止まり、その代わりに私の視線が狙っていただし巻き卵から山田へと移動する。
やがて瞳に映り込んだのは、端麗な顔を仄かに色づかせている相手だった。
「平野のこと考えてただろ。」
「……。」
「あいつの事を考えて、甘い顔すんの、やめろよ。」
驚嘆すら漏れなかった。おちょくってんのかよって突っ込めなかったのは、山田の視線が痛い程に真っ直ぐ刺さったせいだ。
高校生の時からこの男を知っているが、こんな山田を見たのは初めてだった。大会が開催される度に表彰台に上がっちゃう程に運動が得意で、それでいて勉強も疎かにせず、誰にでも優しくて、面倒見が兎に角良くて、余裕があって、常に人に慕われている。私の知っている山田はそういう奴だ。
モテ街道まっしぐらで、花男に出て来るF4の良い所だけを凝縮して一人の人間にしたみたいな男で、いかなる時にも隙が無い。人間と霊長類の狭間を奇跡的に人間寄りで生きれている私とは比べ物にならない人物であるという説明はするまでもない。
そんな山田が、私の向かいで、余裕のない顔をしている。
「何言って…「菅田、無意識に蕩ける様な表情してんの、気付いてないっしょ。」」
こんなにもぶっきらぼうな声を放つ山田も初めてだ。さっきまでずっと持ち上げられていた口角も下がっている。山田の唇は一本の平行な線が引かれたみたいに閉じていて、声は憤りを含んでいる感じだってのに、双眸は悲しそうに揺れている。
流石にゴリラ・ゴリラ・ゴリラとホモ・サピエンスのギリギリで生きている私でも、軽く茶化して終わらせても良い話ではないのだと察した。だがしかし、すぐに返事が出る訳でもなかった。
何せ山田の発言が不服だったからだ。甘い顔?蕩ける様な表情?誰の事を言ってんだよ、そんなはずがないでしょ。私が平野の話をしながら乙女みたいな反応を見せる訳な…い……己に言い聞かせながら自分の頬に触れて驚いた。
私の指先の神経が正しく機能しているのであれば、私の頬はしっかりと緩んでいたからだ。