Melts in your mouth
嫉妬を爆発させる男
景色の流れるスピードが余りにも速くて、ここに来るまでどんな人と擦れ違ったのかも、どういった店が並んでいたのか一つも覚えていない。それもこれも、私の腕を強く捕らえて離さない後輩のせいだ。
「平野、一旦ストップして。」
この台詞を数分の間で何度放っただろうか。そして無言が返って来るのも何度目だろうか。半歩だけ前を行く平野の後頭部しか見えない。どんな表情をしてんのかも分からない。私の手首を握る相手の力が痛かった。
「マジで止まって。」
「……。」
「おい平野。」
「……。」
「平野ってば。」
「……。」
おいおいおいおい、ここまではっきりきっぱり無視するか?私一応お前の上司なんだけど?これでも先輩なんだけど?
ポツリポツリと降っていた雨粒の地面を叩く音が徐々に増して、平野の肩を濡らしていく。平野のシャツにできたドットとドットがくっついて大きな染みになり、どんどん濡れている面積の方が広がっていく。
いつも腹立つまでにお喋り野郎だから、こんなにもだんまりを決め込まれると調子が狂う。突然現れて山田を煽り、「山田さんはこっからご自宅のマンションが近いって有能な中島ちゃんから聞いてるので、そのまま帰って大丈夫ですよ?先輩は俺がちゃんと送り届けまーす」そう言って私を拉致連行したこいつに文句の一つや二つ投げ付けたいのに、平野の様子がいつもと違うせいで憤りすら覚えない。
山田はどうしているだろうか。出没した平野を前に吃驚して言葉を失っていたけど、平野に腕を攫われた瞬間、「菅田!!!」って呼ぶ山田の声を背中で聞いた。
「濡れてないと良いけど…って、山田なら傘持ってるか…っ痛っっ。」
散々無視してこんだけ人の腕を引いて歩いていた癖に、沈黙を貫いたままの平野が足を止めたせいで思い切り身体が平野の背中にぶつかった。珍しく菩薩みたいな心でいた私も流石に限界突破サバイバー。
雨と平野の香水が混じった匂いに向かって盛大に舌打ちを零した私は、鋭い眼光で平野を串刺しにして……やろうと思った。思ったけど、できなかった。
くるりと身体を反転させてやっとこっちを向いた相手が、私の頭上に持っていたらしい傘を広げた。自分の身体が濡れる事を顧みず、雨を凌げる僅かな傘の部分全てを私に寄越していた。
相変わらず平野は無言だった。その無言が気味悪かった。つくづく平野らしくなくて、奇妙だった。
「何してんのあんた。早く傘に入りなさいよ、風邪引く…「そんなに山田さんのことが気になりますか?」」
「……。」
「そうですよね、永琉先輩は俺のことなんてどうでも良いですもんね。」
「はぁ?」
「山田さんの名前、永琉先輩の口から聞きたくない。」
五月雨と共鳴するみたいに吐き出された平野の声は、泣いているみたいだった。