捨てられ令嬢は溺愛ルートを開拓中〜ひとつ屋根の下で始まる歳上魔法使い様との甘いロマンス〜
クララの初デート
クララは猫足のバスタブに浸かっていた。
顔半分まで浸かり、息を吐くと乳白色の水面にぶくぶくと泡が弾ける。
しばらくそうしていると、弾けた泡の雫が目に入った。
「わぶっ!」
驚き、お湯から顔を出した。顔を洗い、目を開ける。
「びっくりした……」
お湯に浸かって考えていたのは、学園でのクロウのことだった。
たくさんの女子生徒に囲まれていたクロウは、まるで知らないひとのようだった。
今、クロウは恋人がいるのだろうか。最近はあまり夜に外出することはなかったが……。
今はいないにしても、もしかしたらこれから、今日群れていた中の誰かとそういう仲になるのかもしれない。
みんな、きれいで大人っぽかった。
ドーナツで喜んでいるクララとは大違いだった。きれいに化粧をして、ルージュはつやつやしていて、胸だって大きくて……。
「…………はぁ」
自分のたいらな胸元を見て、ため息をつく。
クロウに女子生徒のことを尋ねたとき、少し慌てているようだった。
もしかしたら、あの中に気になっている女性がいるのかもしれない。彼はいつも、恋愛方面の話になると話題を逸らそうとするから……。
クララは、深い海の底に沈んでいくようだった。
「……いやっ!」
じゃばっと勢いよく風呂から上がる。
いやだ、と思った。まだ、なにも始まらないうちから諦めたくはない。
クララは、クロウに内緒で、とあることを決めた。
* * *
翌日、クララはクロウより早く学園に来た。
向かったのは、クロウの研究室がある研究室棟――の、はずだったのだが。
クララの目の前は、なぜか行き止まりである。昨日、ロードと歩きながらしっかり覚えたつもりだったのだが、はて、おかしい。
「また迷った……?」
どうしよう、早くしなければクロウが出勤してきてしまうし、かといってむやみに動けばさらに迷って、最悪、授業に間に合わなくなるかもしれない。
とりあえず来た道を戻ろう、と回れ右をすると、またもやだった。
「おや、お姫ちん」
クララを独特な呼び方をするこのひとは、クロウの助手のロードである。
今日はリネン生地の柔らかなベージュのジャケットを着ていた。この前の服を見たときも思ったが、ロードは着ている服でずいぶんと印象が変わるひとだ。
この前見たときは涼しげで凛としていたのに、今日はずっと優しげな印象になった。
「ロード先生」
探していたひとに会えてひとまず良かった、とクララは安堵の笑みを浮かべてロードに駆け寄った。
「お……ど、どうした?」
ロードは少し面食らったような顔で、クララを見つめた。ロードは上背があるため、近くから目を合わせようとすると、かなり首を上にしないといけない。
「あの……その、ちょっとクロウのことで相談があって」
「相談? 僕に?」
「できれば、クロウに内緒にしてほしいんですけど」
「内緒、ねぇ……」
ロードはすっと視線を横へ流した。こころなしか、口角が少し上がっているような気がする。
「……ダメですか?」
おずおずと聞くと、ロードはクララへ視線を戻した。
「……いや」
ロードはにっこりとクララを見つめて、「いいよ」と言った。
「ありがとうございます!」
「あ、その代わりに、僕もお姫ちんにお願いがあるんだけど」
「お願いですか?」
「僕とデートしよう」
「デート……?」
クララは首を傾げる。
「わたしと、ロード先生が?」
「そのときにお姫ちんが聞きたいこと、なんでも教えてあげる」
昨日はあんなことを言われたけれど、それはロードとクララが初対面だったからで、今は彼の身分ははっきりしている。
その上ロードはクロウの助手をやっているくらいだし、問題ないだろう。
「分かりました!」
「よし。じゃ、行こうか」
「え?」
数度、瞬きをする。
もしかして、今からのつもりなのだろうかと身構えたが、ロードは穏やかに微笑んで言った。
「お姫ちん、どうせまた迷ってたんでしょ? 高等部の校舎まで送りますよ」
「あ……はい。すみません」
顔がカッと熱くなった。
仮にも先生なのだから、さすがにそんなわけはない。
* * *
翌週末、クララはクローゼットの前で唸っていた。
今日は、ロードと約束したデートの日である。
昨日学園ですれ違ったとき、ロードはクララに、
『うんとオシャレしてきてね』と言った。
うんとオシャレ……というものがどういうものか分からないが、街へ制服は着ていけないし、デートなんてそもそも経験ないし、なにを着よう。
今いちばんお気に入りの小花柄のワンピースにするか。いや、でもこれでは少し子どもっぽいだろうか。
迷った末、灰銀色のプリーツブラウスに、紺色の幾何学模様ロングスカートにした。
髪はハーフアップにして、ガラス細工の蝶バレッタで止める。化粧はさすがにやり過ぎかと思ったので、リップを少しだけ塗ってみた。
鏡を見て、確認する。ぷるぷる、つやつやだ。
よし。これならオシャレなロードと歩いても変に思われないだろう。
着替えを済ませると、クララはクロウの部屋の扉を叩いた。
「クロウ、いる?」
「…………んぅ」
かすかに声が聞こえた。もう太陽はとっくに昇っているというのに、クロウはまだベッドの中らしい。休日だといつもこれだ。
とりあえず、そっと音を立てないように中に入る。案の定、クロウはまだベッドの中だ。白銀色の髪の乱れ具合がなんとも色っぽい。寝起きのクロウにはいつもドキッとさせられる。
仕方ない。クロウは大人である。
クララはクロウの肩を少し揺すって、
「クロウ、わたしちょっと出かけてくるから。お昼は一応サンドイッチ作っておいたから」
「うん……? クララ、どこ行くの……?」
「デート行ってくる」
「ふぅん……いってらっしゃい……」
ふわんとした口調のままのクロウに見送られ、クララは家を出た。