怪奇集め その手をつないでいられるうちにできること
ここだよ踏切
この町には奇妙な噂がある場所が多々ある。その一つが、阿久津教授が紹介してくれたここだよ踏切だ。その噂は――踏切の音が鳴る時になぜか「ここだよ、ここだよ、ここだよ、ここだよ」という音になるらしい。住民からの苦情を受けて、何度か修理を試みたが、全く治る気配はなく、その原因も専門の技師が見てもわからないままだった。踏切の音は普通は「カンカンカンカン」という警報だが、ここで、普通の音を聞くことはできなかった。面白い場所としてテレビで取り上げられたり、若者が動画をあげることもあったが、原因は以前不明のままだ。
私たちは阿久津教授からもらった腕輪をそれぞれがつけて、その場所に向かうことにした。その腕輪というのは、霊感がゼロの人間がつけると、この世のものではない何者かと接触することも見ることもできるらしい。見た目は普通のミサンガみたいなものだ。しかし、その糸には霊力だか何かが織り込まれているらしい。
「でも、そんな怪奇なんかに遭遇したら、俺、マジで死んじゃいますよ」
その問いに阿久津教授は笑いながら答えた。
「これには不思議な魔力が織り込まれている。だから、相手に殺されることもない。相手を落ち着かせる周波数の入った聞こえない音を入れているんだ。だから、相手は落ち着いて接してくれるのさ。万が一襲われそうになったら、腕輪のボタンを押せば、怪奇なるものが苦手とする光を発する。相手が溶けるかもしれないし、相手が倒れたすきに逃げればいい。これは、あたしの研究の集大成だ。間違いはないよ。人間の記憶が大好物な怪奇なるものたちは、必ず興味を示す。怪奇魂を集めたら、完治への第一歩だ」
「治療って、どれくらいかかるんですか?」
「人によって違うからね。どれくらいとはいえないね。ただ、今既に発病していることを本人は自覚しているんだろう。その現象が消えてくれば完治に向かっている証拠でもあるし、腕輪の色が教えてくれるかもしれないね」
「腕輪の色が変わるんですか?」
「今は赤だが、徐々に紫となり、最終的に青になればおまえさんの呪いの病は完治したと言えるだろう。これには共に危険に立ち向かえる相棒が必要だ。人間は弱いからね。おまえさんは、ラッキーだったと思うよ。こんなにかわいい彼女がいるのだから」
実に曖昧なことではあったが、この病自体がまだまだ未解決な代物だ。絶対という保証はない。だから、一抹でも希望があれば、私たちはそれにすがるしかない。この教授は相棒を失い、それでも現在まで生き続けてきたのだろう。彼女の想いや人生はまだ、私のような10代の何も失ったことがない人間には、想像すらもできなかった。
不気味な場所へ行くにもかかわらず、私たちにとっては初めてのデートとなるわけで――不似合いながらも照れながら手をつないで歩いた。心なしかドキドキと心臓が高鳴っていたのは恐怖に対するものだけではなく、ときめきが半分以上を占めていたということは二人共が感じていた。
もちろん、それがどれほど不謹慎なものだということは重々承知の上だ。怪奇の対象はこの世への未練や怨みを経て、ほとんどが、どうにもならずに勝手に恐れられてしまう対象となってしまった者である。そんな上から目線で言えば、可哀そうな者と対峙しなければいけないわけであり、どれだけの深い傷と怨念を持った者と取引をしなければいけないのかということは、まだ私たちにはわからないことだった。いずれは、怪奇現象の体験者にアポを取る予定だが、今はとりあえずここだよ踏切に行くことにする。善は急げだ。
電車を乗り継ぎ、スマホで位置を確認する。二人での共同作業は思った以上に初めてだった故、どこか浮足立っていたように思う。でも、本気で立ち向かう気持ちを持っていたのは、彼を救うための最後のチャンスかもしれないと思ったからだ。
しかしながら、この男、昔から知ってはいるが、ヘタレという言葉が似合う。怖いのは大嫌いだけれど、かわいい女の子がいたらすぐによそ見をするような軽々しいところがあり、それを含めてかわいいと感じているのは絶対に秘密だ。まず、女子から見ても、普通に顔がかわいい。童顔だ。蒼野凛空《あおのりく》という名前もきれいだけれど、顔立ちが女の子のようにかわいい。何度も心の中かわいいを連呼しているのは、私が心底惚れているというわけで――絶対に恥ずかしい故、知られたくない事実だ。
よそ見はするけれど、浮気をする性格ではなく、今までお互いに誰かと付き合ったことはなく、なんとなくクリスマスなどのイベントは二人で過ごすことが多かった。多いという表現をしたのは、クラスメイトとして一緒に過ごした年もあれば、仲良しの何名かで過ごした年もあるからだ。二人きりでケーキを食べて過ごした年もある。だからと言って、何か進展があったわけでもなく、進展を望んでいたわけでもなかった。なぜならば、時間は無限にあるわけで、私たちが離れ離れになる要素は思いつかなかったからだ。
お互いに持ち家に住んでおり、親が転勤する仕事でもなく、あえて言うのならば、大学進学や就職で県外に行くかもしれないという可能性かもしれない。でも、そんなのはずっと先だと思っていたし、大学に関して言えば、志望校がお互いに県内だということを知っていたという余裕もあったと思う。万が一違う大学でも近所であれば、縁が切れることはない。そう思っていた。まさか潔癖症になってしまうとか、嫌われてしまうなんて――そういう不測の事態は一切考慮に入れていないというのが事実だった。
「ここだよ踏切って結構動画とかつぶやきで結構話題になっているよね」
恋人つなぎで歩く。
というのも、恋人つなぎというのは、怪異なる者には愛や絆という強い光を放つことができるという話を先程されたのだった。愛に飢えた者は絆という形を見るだけで、恐れをなすらしい。ドラキュラでいえば、十字架にあたるそれかもしれない。
私たちの本音は恋人つなぎをしたいに尽きるのだが。
動画を再生すると、やはり不思議な声のような音が聞こえてきた。
「ここだよ。ここだよ。ここだよ。ここだよ」
声は電車が通り過ぎ、踏切の遮断機が上がるまで続く。
「普通に考えたら、ここに私はいるよ、ってことだよな」
凛空は言う。
「でもね、この踏切で事故や事件は今までないみたいなのよね」
ネットで調べた限りでは、そのような事件は見当たらなかった。
「じゃあ、もっと古い時期なのかな。戦時中とか、侍がいた時代とかさ」
「でも、ピンポイントで踏切から声がするなんて全国でも聞いたことはないよね。もしかして、バラバラ殺人事件の一部が潜んでいるとか?」
「ここだよっていうのが元人間の誰かではない可能性もあるかもしれないな」
「どういう意味?」
「たとえば、宝物のありかをおしえているとかさ」
「急に景気のいい話になってるし。自分がお金持ちになるという都合のいい話に置き換わっているだけじゃない。でも、きっと何かをつたえたいのかもしれないね。自己主張したいのは、人間だけじゃないからね」
「不思議な何者かと取引をすれば、俺は病の進行をおさえられるんだろ。本当はかなり怖いくて、足がふるえてる。がくがくなんだ」
「知ってるよ。手も震えてる」
凛空は顔もだけれど、性格も女性的で繊細なところがある。内面に関しても弱いことを知ったうえで私は好きになっている。理想は、格闘技やってそうで内面も強い男性だったりするんだけれど――凛空だけは特別。昔から知っている。私の心の一部になっているから理想と現実は違う。
「真奈は強いな。本当は誰よりも繊細で不器用で怖がりなのは知ってるんだけどさ。でも、いざというときは最強だって思う」
「なにそれ。普通、こういう場面は凛空が守るものじゃない?」
「でもさ、俺、どんなにかわいい女性がいても、誰のことも愛せなくなるなんて災難な病気になったもんだよな」
「仕方がないよ。私は凛空みたいなダメ男子でも、一緒にいたいから」
「でも、真奈しか愛せない病にかかっているのは本当だ」
真顔で言われると、照れは隠せない。凛空の頬が染まるのを確認する。私も多分、頬は真っ赤とまではかなくとも、ピンク色くらいには染まっているだろう。自分の顔は見えないから確認はできないけれど、相当顔が火照る。心がくすぐったい。そんな私と彼の恋が、怪奇集めからはじまるなんて、考えもしなかった。そして、彼の病気についても考えもみなかった。若ければ健康なんて思い込みだ。私たちは多分とても不幸でとても未来は明るいとは思えない。でも、一緒に何かを成し遂げられる今しかないのは事実だ。
「この辺りだと思う」
踏切を目で確認する。電車が通る時しか、警報機の音はならないわけで、私たちは警報機の音がなるのを待つ。
警報音が鳴り、遮断機が下りる。その後、電車が到着する。
この当たり前のルーティーンの中で、相変わらずおかしいのは警報機の音だ。人間の声のように聞こえる。言葉なのだ。この駅は無人駅であり、人通りも少なく、幸い誰もいないので思い切って声をかけてみる。
「ここにいるのは誰ですか?」
「ここだよ」
「ここに何かあるのですか?」
「ここだよ」
やはり、決まった言葉しか返ってこない。これは、メッセージではないのだろうか。私たちは恋人つなぎを前面に出し、手を掲げた。つまり、先程の腕輪を見えるようにしたというのが本当のところだ。あの腕輪が本物の効果があるのならば、きっと何か違うリアクションが期待できるだろう。
「ここだよ、ここだよ……」
何度も同じ声が聞こえる。警告音が終了する頃、変化が現れた。
「おまえたちの目的は?」
美人であろう成人女性が突如現れた。ここだよとつぶやいていた本人だろうか。足はあるが、人間ではないような気がする。
「おねーさん、超美人ですね。この世の方ですか?」
凛空は美人にめっぽう弱いし、基本性格は軽い。たとえ、それがこの世のものでなくとも美人の女性が現れたら、目じりが下がる。これは、昔からなので、もう慣れている。今までもちろん幽霊とか精霊と出会ったことはないけれど、凛空という男はある意味純真な軽薄男である。呆れてしまいため息すらでるが、今は彼氏であり大切な将来を共に背負う覚悟をした身なので、多少のことには目をつむろうとこらえる。
「はぁ?」
凛空の態度に謎の女性はどう受け答えしたらいいのか困った様子だ。
「この世にはいるけれど、囚われているだけで、あなたたちのように生きているわけではないのです」
「わかりにくい。つまり、美人な幽霊ってこと?」
「元人間で死んでいますが、好きな人のそばにいたいがために、成仏することを止めているのです。だから、ここだよと気づいていただけるように呼んでいました。幽霊という概念でいいのかは自分でもわかりません」
「好きな人がいるのか。何はともあれ、美人がこの世界からいなくなるのは非常に残念ではあるな。とどまるのもありだと思う」
凛空は変に納得している。
「もう、馬鹿なこと言ってないでちゃんと交渉しなさい」
真剣に元人間の美人女性と話し込む彼を見て、私は突っ込むことにした。
一息置いて、凛空はようやく話の本題を振ることにした。顔が一気に真剣モードに変化する。
「俺、対人嫌悪症だと医師に告げられたんだ。だんだん他人に対して嫌悪感と潔癖症が発動するようになるって医師に告げられた。記憶もなくなっていくらしいし、寿命も短くなる非常に珍しい難病らしい。でも、呪いの病とも言われていると聞いたんだ。知らず駅にいくと駅長がいるんだろ。そこにいけば、病が完治する第一歩と聞いたんだ」
「知らず駅ですか……」
女性は少しばかり考えているようだった。幽霊というよりは妖精のような可憐で美しい女性だという印象が強い。だから、怖いという印象はほとんどなかった。
「ここには何があるのですか?」
「知らず駅に行くヒントがあるのです。だから、ここだよと伝えていたのです」
ここだよの意味には知らず駅へいくヒントがあるよという意味が隠されていたのか。新展開だ。
「知らず駅? ヒント?」
思ってもみなかったワードが出てくる。ここだけで完結するものではなく、何かつながりがある様子で、一筋縄で解決できるわけではないのかもしれない。
「人間社会にもルールはあるでしょ。ルールがわかると、知らず駅にいくことができるのです」
「知らず駅? もしかして、怪村につながると言われている異世界の駅じゃない?」
ネットで噂になっていたのを聞いたことがある。オカルト好きにはたまらない話だろう。動画サイトで不思議な話を見るのが好きだったこともあり、知識だけは持っていた。
「踏切の下にあなたが埋まっているとか。殺人事件や自殺があったということではないですよね?」
一応確認する。
「私は、たしかに死んでいます。でも、この踏切の下に埋まっているわけではないんです。死んだ場所が近かったせいなのか、不運にも知らず駅に囚われてしまったのです。誰かが助けてくれることを祈りながら、毎日ここだよと唱えておりました」
呪いとは違うのかと安心するも、新たな疑問が沸く。
「知らず駅の駅長って何者だよ? こんなに美人を自由にさせないなんて。そうか、美人だから気に入られたのかもしれないな」
凛空はやはり美人には目がない。呆れるけれど、この純真な馬鹿が憎めない私も馬鹿だ。
「知らず駅は、人ならざる者ですが、囚われてしまうと大変恐ろしい者となります」
「あなたが、ここに囚われているということは――まさに、灯台下暗し。ルールについてわかったかも。もしかして、踏切の警報機の音についてのルールじゃない? 全国一律で決まりがあるんじゃないかな」
思いついた自分に心の中で拍手を送る。ルールと言えば、警報機の音が全国一律だったり、きっと警報機の音が鳴る時間が一律だったりするのではないかと思ったからだ。
「たしかに、警報機の音も基本全国一緒だしな。警報機の音の長さとか、電車が来るまでの時間とか遮断機が下りるまでの時間とか多分一緒だと思うな」
早速スマホで調べてみる。
「鉄道の技術上の基準に関する省令等の解釈基準っていうのがあるんだね。警報の開始から遮断動作の終了までの時間は、15秒を標準とすること。この場合において、当該時間は、10秒以上であること。遮断動作の終了から列車等の到達までの時間は20秒を標準とすること。この場合において、当該時間は、15秒以上であること。警報の開始から列車等の到達までの時間は、30秒を標準とすること。この場合において、当該時間は、20秒以上であること」
考えたこともなかったけれど、この世界はルールで成り立っている。例えば、道路交通法もそうだろう。信号機ひとつとっても、ルールがなければ私たちは交通事故に巻き込まれてしまう。この世界には必要なルールがたくさんあるけれど、私たちはほとんど普段意識することもない。
青白い美人は力ない声で囁く。
「わたしたちは時間に囚われているのです。電車は時間で動かなければ、多大な人に迷惑をかけてしまいます。特に、踏切は命を預かる大切な役目。そのために時間のルールは厳守なのです」
もっともな話だ。時間のルールが適当なのでは、電車がすぐ来てしまったり、車が横断できずに事故が起こってしまうだろう。
「時間のルールを知っていただけたあなた方には知らず駅への切符となるものを差し上げます。怪奇魂《かいきだま》です。これで、取引してさらなる怪奇を集めてください」
その怪奇魂は美しく、ビー玉を少しばかり大きくした丸いガラスの珠のようだった。
「あなたのお話を聞かせてください」
女性の話を聞くべきだと思う。何かの重要なヒントになる可能性もある。
「私は……好きな人がいて、結婚をしてもいいと思っていました。でも、その人は結婚なんてする気がなかったのです。馬鹿みたいでしょ。一方的に結婚できると思っていただけなんて」
「馬鹿みたいじゃないです。人を好きになることに理由なんてないです。直感ですよ」
妙に気合の入ったコメントをしてしまった。自分自身が凛空を好きな理由に理由がないからだったのかもしれない。理由なんて後付けでいくらでもつけられる。
「その人は、今はどこにいるのですか?」
「知らず駅の駅長をしているのです」
思いもよらぬ返答だった。
「駅長をしているということは普通の人間ではないということですか?」
「最初は普通の人間でした。人間同士の時に、私たちは出会ったような気がします。今は、普通の人ではないので、死にそうな人がわかるらしいのです。この場所に囚われているのは、多分、私が彼を好きな気持ちがまだ残っているという理由なのかもしれません。彼は特別な力を持ち、この世界にとどまっています。私は少しでも彼の力になりたい。少しでも近くにいたい。ここは、知らず駅に一番近い場所ですから。でも、気づいたら死んでいました。誰に殺されたのかもわかりません」
思ったよりも、せつない女性の身の上話だった。恋愛をただしたかっただけの普通の女性だったのだろう。新たなキーワードとして、知らず駅の駅長、未解決殺人事件、わからないことがたくさんあった。
「もしかしたら、私たちがあなたを殺した犯人を突き止めることができたら、またここに来ます。知らず駅の駅長のことも何者なのか正体を掴みたいと思います」
「こんな言葉を投げかけてくれた人はいなかったわ。ありがとう。怪奇魂《かいきだま》を持って行ってください。彼によろしく」
昔ながらの切符とビー玉よりも少しばかり大きくて澄んだ黒色の珠。見る時間によって色が変化するのかもしれない。怪奇の塊にしては色はきれいだ。まるで黒真珠だ。これは、怪村、異世界行きの切符? 怖いけれど、興味も沸く。でも、一番は凛空の病の完治だ。きっとこれで発症は遅くなるはずだ。
「これで、凛空は助かるのですか?」
「ここの踏切は異世界の扉とつながっています。ですから、凛空さんの記憶と引き換えに怪奇魂《かいきだま》を渡します。病の進行は確実に遅れる保証はしますが、まだ完治とまではいきません。より多くの怪奇を体験した者の怪奇魂《かいきだま》をいただくことによって、あなたは確実に完治する方向に行くでしょう。あなたの大切な真奈さんとの記憶をください。私も他人の記憶がたまれば解放されるはずなのです」
「美人との取り引きは嬉しいけどさ、今までの大切な思い出を取引するってことだろ。もう、思い出せなくなるってことかな」
「放っておけば、確実に忘れてしまう記憶があるはずです。呪いの病はあなたの大事な人との思い出をいただくという決まりがあります。しかし、ノートに記したり、動画に残しておけば、こういった事実があったということを確認できますし、あなたの大切な彼女に教えてもらうことは可能です」
「忘れちまうってことか。真奈との記憶はどれも大事なんだけどな」
「真奈さんと過ごした中でも大切な記憶じゃないものもたくさんあります。忘れるであろう記憶から、より必要でない記憶を渡してください」
「記憶を渡すってどうやって渡せばいいんだよ?」
その質問は当然だ。
「私たち、人ならざる者は記憶を怪奇魂《かいきだま》として受け取ることができるのです。丸いボールのような形で取り引きするのです。私は喜んで取引いたします。怪奇魂が多ければ、私はここから抜け出すことができるのですから」
「交渉成立だな。こんな美人が最初でよかったよ」
真顔で言うあたり、少々ムカつくが、この男に気を遣うということはできないのだろう。無神経だし、同じ歳なのに弟みたいな頼りなさすら感じるヘタレ男。でも、好きという感情は勝手に踊りだす。私に制御は不可能だ。
「どの怪奇魂をわたくしにいただけますか?」
まさに金の斧にでもでてきそうな湖での取引のようだった。ただ、ここが人気のない心霊スポットの踏切であるというだけだ。青色の髪は長く、青白い肌色は生気を感じさせない。しかし、顔立ちの美しさというのは隠せないのは同じ女としては何とも反論できない部分だ。
「俺、無くすであろう記憶って選別できないけど、病にかかっていなくても忘れてしまった記憶はあるよな。小学生の時に真奈と過ごしたありふれた一日を渡そうと思う。でも、何もなかった日の記憶なんて思い出せないなぁ。まぁ、全部真奈との思い出は全部大事だけどな」
なに、こいつは平然とした顔で、胸をくすぐるようなセリフが言えるのだろうか。私はどうにも胸がくすぐられた喜びを感じていたけれど、勿論表には出さない。世界一大好きな人に、大事な人と言われた自分。その台詞に少しばかり酔ってもいいよね。
「あなたは、なぜ死んでしまったの? 本当に覚えていないの?」
女性にもう一度質問してみる。
「私は、多分一瞬で殺されたんだと思うのです」
普通とは違う思わぬ怪奇な返答があった。
「多分? 自覚がないってこと?」
「命なんてそんなものよ。一瞬にしてこの世のものではなくなってしまうの。世間の対応はあっという間に変わってしまう。生きている者と死んだ者への対応は全く違うのよ。私が何かを訴えても死者だと怪奇現象って言われちゃうのよ。記憶では不意打ちで殺された。でも、誰に殺されたのかもわからないのよ。警察も未解決事件として扱っているみたい」
「じゃあ、俺たちが犯人を特定出来たら、おねーさんは、囚われることなく自由になれるのか?」
「犯人も気になるけど、知らず駅の駅長のそばにいたいから」
少しばかりほほ笑む。
「じゃあ、真奈がジャングルジムから転んで俺が手当てした思い出を渡すよ。いい意味で仲が深まったとは思うけどさ」
すると凛空の体からビー玉を少し大きくした怪奇魂らしきものが出てくる。不思議な現象だったが、相手にそれが勝手に飛んでいく。色合いは空色だった。あの思い出は空色だったのだろうか。
「あなたの怪奇魂を受け取ったわ。そして、私の怪奇魂を渡した。まずは私との取引を終了できた。つまり、第一段階は終了したわ。あなたたちは知らず駅に行き、そこで怪奇を更に集めるべく話を聞いてみて。本当に彼は美しいから、好きにならないでよ」
怪奇魂といわれる珠は思ったよりも小さく、ビー玉を少し大きくした程度のようなものだった。艶があり、美しい色合いは怪奇とは全く別物のような宝石店にありそうなものだった。駅長は美しい人なのだろうか。
「怪奇って色々な色をしているの。真珠の色は光によって色合いが微妙に違うでしょ。怖いものばかりではない。あなたを救う光になると信じているわ。知らず駅は夕方4時44分にこの踏切に現れるから、明日以降来てちょうだい」
今日はもう既に夕方5時を過ぎており、不思議な駅の扉は閉ざされてしまったらしい。とは言っても、既に怪奇に出会い、私たちはお腹いっぱいな気分になっていた。普通出会わないであろう、不思議な老婆、そして、この世にいるべきではない美人。これだけで、精神をかなりすり減らす状態だ。これは夢かもしれないと頬をつねりたくなる。
「お幸せに」
彼女はそう言うと、また、電車の警告音の時間になり、ここだよという声を発していた。発したくて発しているわけではない。彼女は仕方なくというより、好きな人のそばにいたいという気持ちによってここにとどまっているという事情を知り、私たちはどっと疲れを感じる。
「俺、正直腰を抜かしそうになってた。唯一救いだったのは美人だったということだけだな」
「もしかして、腰を抜かしそうなのをごまかすために、美人で良かったなんて茶化してた?」
「……まぁ、そうなるな」
やっぱり、そんなことだと思った。
「ヘタレだなぁ」
少しばかり安堵する。彼が、本当は恐怖を紛らわせるために美人にうつつを抜かしたふりをしていたことに――。でも、美人に弱いのは事実だから、半分は本気で褒めていた可能性は充分にありうる。
「帰り、何か食べて帰ろうか? 付き合った初日だもん。記念日デートしないとね。この記憶は忘れちゃだめだよ」
「あったりめーだ。おまえとの記憶は極力忘れない。っていうか忘れたくないよ。だってさ、ずっと好きだったんだから」
こんなかわいい笑顔で言われたら、私の心臓は溶けてしまうかもしれない。まるでアイスクリームだ。彼の笑顔は熱を帯びていて、私は簡単にアイスクリームになってしまう単純女子だということに気づく。
「どこに行こうか?」
目の前にファミレスが見える。店の前にはきれいなイルミネーションが年中光輝く。これは、通行人を楽しませるためなのか、カップルの気持ちを高めるためなのか不明だけれど、心が楽しくなるというのは本当だ。
私たちはこれから思い出を作っていっても、彼の中に残るとは限らない。最悪、嫌われ、忘れられるかもしれない。こんな理不尽な恋愛はないかもしれない。でも、自分の気持ちに嘘はつけない。今、が一番大切だ。楽しい、うれしいという気持ちが一番大切だ。
今、おいしい夕食を食べて、一緒の時間を過ごす。食欲を満たしただけで人間はなぜかだいぶ幸せになる法則がある。そんなことは、だいぶ前から私は気づいていた。無意識の法則だけれど、私にとって凛空と過ごす時間はきっとどんな時間にも代えがたいと思う。
目の前のハンバーグも白飯もドリンクも全てが輝いて見える。
私たち、幸せになろう。そのために、どんな困難にも恐怖にも立ち向かおう。夕食を食べて、指を絡めながら手をつなぐ。帰り際に初めて軽くキスを交わす。恋人になったんだね。でも、いつか、こんなことはきっとできなくなってしまう。でも、呪いさえ解ければ、普通の生活ができるはずだ。呪いさえなければ――
私たちは阿久津教授からもらった腕輪をそれぞれがつけて、その場所に向かうことにした。その腕輪というのは、霊感がゼロの人間がつけると、この世のものではない何者かと接触することも見ることもできるらしい。見た目は普通のミサンガみたいなものだ。しかし、その糸には霊力だか何かが織り込まれているらしい。
「でも、そんな怪奇なんかに遭遇したら、俺、マジで死んじゃいますよ」
その問いに阿久津教授は笑いながら答えた。
「これには不思議な魔力が織り込まれている。だから、相手に殺されることもない。相手を落ち着かせる周波数の入った聞こえない音を入れているんだ。だから、相手は落ち着いて接してくれるのさ。万が一襲われそうになったら、腕輪のボタンを押せば、怪奇なるものが苦手とする光を発する。相手が溶けるかもしれないし、相手が倒れたすきに逃げればいい。これは、あたしの研究の集大成だ。間違いはないよ。人間の記憶が大好物な怪奇なるものたちは、必ず興味を示す。怪奇魂を集めたら、完治への第一歩だ」
「治療って、どれくらいかかるんですか?」
「人によって違うからね。どれくらいとはいえないね。ただ、今既に発病していることを本人は自覚しているんだろう。その現象が消えてくれば完治に向かっている証拠でもあるし、腕輪の色が教えてくれるかもしれないね」
「腕輪の色が変わるんですか?」
「今は赤だが、徐々に紫となり、最終的に青になればおまえさんの呪いの病は完治したと言えるだろう。これには共に危険に立ち向かえる相棒が必要だ。人間は弱いからね。おまえさんは、ラッキーだったと思うよ。こんなにかわいい彼女がいるのだから」
実に曖昧なことではあったが、この病自体がまだまだ未解決な代物だ。絶対という保証はない。だから、一抹でも希望があれば、私たちはそれにすがるしかない。この教授は相棒を失い、それでも現在まで生き続けてきたのだろう。彼女の想いや人生はまだ、私のような10代の何も失ったことがない人間には、想像すらもできなかった。
不気味な場所へ行くにもかかわらず、私たちにとっては初めてのデートとなるわけで――不似合いながらも照れながら手をつないで歩いた。心なしかドキドキと心臓が高鳴っていたのは恐怖に対するものだけではなく、ときめきが半分以上を占めていたということは二人共が感じていた。
もちろん、それがどれほど不謹慎なものだということは重々承知の上だ。怪奇の対象はこの世への未練や怨みを経て、ほとんどが、どうにもならずに勝手に恐れられてしまう対象となってしまった者である。そんな上から目線で言えば、可哀そうな者と対峙しなければいけないわけであり、どれだけの深い傷と怨念を持った者と取引をしなければいけないのかということは、まだ私たちにはわからないことだった。いずれは、怪奇現象の体験者にアポを取る予定だが、今はとりあえずここだよ踏切に行くことにする。善は急げだ。
電車を乗り継ぎ、スマホで位置を確認する。二人での共同作業は思った以上に初めてだった故、どこか浮足立っていたように思う。でも、本気で立ち向かう気持ちを持っていたのは、彼を救うための最後のチャンスかもしれないと思ったからだ。
しかしながら、この男、昔から知ってはいるが、ヘタレという言葉が似合う。怖いのは大嫌いだけれど、かわいい女の子がいたらすぐによそ見をするような軽々しいところがあり、それを含めてかわいいと感じているのは絶対に秘密だ。まず、女子から見ても、普通に顔がかわいい。童顔だ。蒼野凛空《あおのりく》という名前もきれいだけれど、顔立ちが女の子のようにかわいい。何度も心の中かわいいを連呼しているのは、私が心底惚れているというわけで――絶対に恥ずかしい故、知られたくない事実だ。
よそ見はするけれど、浮気をする性格ではなく、今までお互いに誰かと付き合ったことはなく、なんとなくクリスマスなどのイベントは二人で過ごすことが多かった。多いという表現をしたのは、クラスメイトとして一緒に過ごした年もあれば、仲良しの何名かで過ごした年もあるからだ。二人きりでケーキを食べて過ごした年もある。だからと言って、何か進展があったわけでもなく、進展を望んでいたわけでもなかった。なぜならば、時間は無限にあるわけで、私たちが離れ離れになる要素は思いつかなかったからだ。
お互いに持ち家に住んでおり、親が転勤する仕事でもなく、あえて言うのならば、大学進学や就職で県外に行くかもしれないという可能性かもしれない。でも、そんなのはずっと先だと思っていたし、大学に関して言えば、志望校がお互いに県内だということを知っていたという余裕もあったと思う。万が一違う大学でも近所であれば、縁が切れることはない。そう思っていた。まさか潔癖症になってしまうとか、嫌われてしまうなんて――そういう不測の事態は一切考慮に入れていないというのが事実だった。
「ここだよ踏切って結構動画とかつぶやきで結構話題になっているよね」
恋人つなぎで歩く。
というのも、恋人つなぎというのは、怪異なる者には愛や絆という強い光を放つことができるという話を先程されたのだった。愛に飢えた者は絆という形を見るだけで、恐れをなすらしい。ドラキュラでいえば、十字架にあたるそれかもしれない。
私たちの本音は恋人つなぎをしたいに尽きるのだが。
動画を再生すると、やはり不思議な声のような音が聞こえてきた。
「ここだよ。ここだよ。ここだよ。ここだよ」
声は電車が通り過ぎ、踏切の遮断機が上がるまで続く。
「普通に考えたら、ここに私はいるよ、ってことだよな」
凛空は言う。
「でもね、この踏切で事故や事件は今までないみたいなのよね」
ネットで調べた限りでは、そのような事件は見当たらなかった。
「じゃあ、もっと古い時期なのかな。戦時中とか、侍がいた時代とかさ」
「でも、ピンポイントで踏切から声がするなんて全国でも聞いたことはないよね。もしかして、バラバラ殺人事件の一部が潜んでいるとか?」
「ここだよっていうのが元人間の誰かではない可能性もあるかもしれないな」
「どういう意味?」
「たとえば、宝物のありかをおしえているとかさ」
「急に景気のいい話になってるし。自分がお金持ちになるという都合のいい話に置き換わっているだけじゃない。でも、きっと何かをつたえたいのかもしれないね。自己主張したいのは、人間だけじゃないからね」
「不思議な何者かと取引をすれば、俺は病の進行をおさえられるんだろ。本当はかなり怖いくて、足がふるえてる。がくがくなんだ」
「知ってるよ。手も震えてる」
凛空は顔もだけれど、性格も女性的で繊細なところがある。内面に関しても弱いことを知ったうえで私は好きになっている。理想は、格闘技やってそうで内面も強い男性だったりするんだけれど――凛空だけは特別。昔から知っている。私の心の一部になっているから理想と現実は違う。
「真奈は強いな。本当は誰よりも繊細で不器用で怖がりなのは知ってるんだけどさ。でも、いざというときは最強だって思う」
「なにそれ。普通、こういう場面は凛空が守るものじゃない?」
「でもさ、俺、どんなにかわいい女性がいても、誰のことも愛せなくなるなんて災難な病気になったもんだよな」
「仕方がないよ。私は凛空みたいなダメ男子でも、一緒にいたいから」
「でも、真奈しか愛せない病にかかっているのは本当だ」
真顔で言われると、照れは隠せない。凛空の頬が染まるのを確認する。私も多分、頬は真っ赤とまではかなくとも、ピンク色くらいには染まっているだろう。自分の顔は見えないから確認はできないけれど、相当顔が火照る。心がくすぐったい。そんな私と彼の恋が、怪奇集めからはじまるなんて、考えもしなかった。そして、彼の病気についても考えもみなかった。若ければ健康なんて思い込みだ。私たちは多分とても不幸でとても未来は明るいとは思えない。でも、一緒に何かを成し遂げられる今しかないのは事実だ。
「この辺りだと思う」
踏切を目で確認する。電車が通る時しか、警報機の音はならないわけで、私たちは警報機の音がなるのを待つ。
警報音が鳴り、遮断機が下りる。その後、電車が到着する。
この当たり前のルーティーンの中で、相変わらずおかしいのは警報機の音だ。人間の声のように聞こえる。言葉なのだ。この駅は無人駅であり、人通りも少なく、幸い誰もいないので思い切って声をかけてみる。
「ここにいるのは誰ですか?」
「ここだよ」
「ここに何かあるのですか?」
「ここだよ」
やはり、決まった言葉しか返ってこない。これは、メッセージではないのだろうか。私たちは恋人つなぎを前面に出し、手を掲げた。つまり、先程の腕輪を見えるようにしたというのが本当のところだ。あの腕輪が本物の効果があるのならば、きっと何か違うリアクションが期待できるだろう。
「ここだよ、ここだよ……」
何度も同じ声が聞こえる。警告音が終了する頃、変化が現れた。
「おまえたちの目的は?」
美人であろう成人女性が突如現れた。ここだよとつぶやいていた本人だろうか。足はあるが、人間ではないような気がする。
「おねーさん、超美人ですね。この世の方ですか?」
凛空は美人にめっぽう弱いし、基本性格は軽い。たとえ、それがこの世のものでなくとも美人の女性が現れたら、目じりが下がる。これは、昔からなので、もう慣れている。今までもちろん幽霊とか精霊と出会ったことはないけれど、凛空という男はある意味純真な軽薄男である。呆れてしまいため息すらでるが、今は彼氏であり大切な将来を共に背負う覚悟をした身なので、多少のことには目をつむろうとこらえる。
「はぁ?」
凛空の態度に謎の女性はどう受け答えしたらいいのか困った様子だ。
「この世にはいるけれど、囚われているだけで、あなたたちのように生きているわけではないのです」
「わかりにくい。つまり、美人な幽霊ってこと?」
「元人間で死んでいますが、好きな人のそばにいたいがために、成仏することを止めているのです。だから、ここだよと気づいていただけるように呼んでいました。幽霊という概念でいいのかは自分でもわかりません」
「好きな人がいるのか。何はともあれ、美人がこの世界からいなくなるのは非常に残念ではあるな。とどまるのもありだと思う」
凛空は変に納得している。
「もう、馬鹿なこと言ってないでちゃんと交渉しなさい」
真剣に元人間の美人女性と話し込む彼を見て、私は突っ込むことにした。
一息置いて、凛空はようやく話の本題を振ることにした。顔が一気に真剣モードに変化する。
「俺、対人嫌悪症だと医師に告げられたんだ。だんだん他人に対して嫌悪感と潔癖症が発動するようになるって医師に告げられた。記憶もなくなっていくらしいし、寿命も短くなる非常に珍しい難病らしい。でも、呪いの病とも言われていると聞いたんだ。知らず駅にいくと駅長がいるんだろ。そこにいけば、病が完治する第一歩と聞いたんだ」
「知らず駅ですか……」
女性は少しばかり考えているようだった。幽霊というよりは妖精のような可憐で美しい女性だという印象が強い。だから、怖いという印象はほとんどなかった。
「ここには何があるのですか?」
「知らず駅に行くヒントがあるのです。だから、ここだよと伝えていたのです」
ここだよの意味には知らず駅へいくヒントがあるよという意味が隠されていたのか。新展開だ。
「知らず駅? ヒント?」
思ってもみなかったワードが出てくる。ここだけで完結するものではなく、何かつながりがある様子で、一筋縄で解決できるわけではないのかもしれない。
「人間社会にもルールはあるでしょ。ルールがわかると、知らず駅にいくことができるのです」
「知らず駅? もしかして、怪村につながると言われている異世界の駅じゃない?」
ネットで噂になっていたのを聞いたことがある。オカルト好きにはたまらない話だろう。動画サイトで不思議な話を見るのが好きだったこともあり、知識だけは持っていた。
「踏切の下にあなたが埋まっているとか。殺人事件や自殺があったということではないですよね?」
一応確認する。
「私は、たしかに死んでいます。でも、この踏切の下に埋まっているわけではないんです。死んだ場所が近かったせいなのか、不運にも知らず駅に囚われてしまったのです。誰かが助けてくれることを祈りながら、毎日ここだよと唱えておりました」
呪いとは違うのかと安心するも、新たな疑問が沸く。
「知らず駅の駅長って何者だよ? こんなに美人を自由にさせないなんて。そうか、美人だから気に入られたのかもしれないな」
凛空はやはり美人には目がない。呆れるけれど、この純真な馬鹿が憎めない私も馬鹿だ。
「知らず駅は、人ならざる者ですが、囚われてしまうと大変恐ろしい者となります」
「あなたが、ここに囚われているということは――まさに、灯台下暗し。ルールについてわかったかも。もしかして、踏切の警報機の音についてのルールじゃない? 全国一律で決まりがあるんじゃないかな」
思いついた自分に心の中で拍手を送る。ルールと言えば、警報機の音が全国一律だったり、きっと警報機の音が鳴る時間が一律だったりするのではないかと思ったからだ。
「たしかに、警報機の音も基本全国一緒だしな。警報機の音の長さとか、電車が来るまでの時間とか遮断機が下りるまでの時間とか多分一緒だと思うな」
早速スマホで調べてみる。
「鉄道の技術上の基準に関する省令等の解釈基準っていうのがあるんだね。警報の開始から遮断動作の終了までの時間は、15秒を標準とすること。この場合において、当該時間は、10秒以上であること。遮断動作の終了から列車等の到達までの時間は20秒を標準とすること。この場合において、当該時間は、15秒以上であること。警報の開始から列車等の到達までの時間は、30秒を標準とすること。この場合において、当該時間は、20秒以上であること」
考えたこともなかったけれど、この世界はルールで成り立っている。例えば、道路交通法もそうだろう。信号機ひとつとっても、ルールがなければ私たちは交通事故に巻き込まれてしまう。この世界には必要なルールがたくさんあるけれど、私たちはほとんど普段意識することもない。
青白い美人は力ない声で囁く。
「わたしたちは時間に囚われているのです。電車は時間で動かなければ、多大な人に迷惑をかけてしまいます。特に、踏切は命を預かる大切な役目。そのために時間のルールは厳守なのです」
もっともな話だ。時間のルールが適当なのでは、電車がすぐ来てしまったり、車が横断できずに事故が起こってしまうだろう。
「時間のルールを知っていただけたあなた方には知らず駅への切符となるものを差し上げます。怪奇魂《かいきだま》です。これで、取引してさらなる怪奇を集めてください」
その怪奇魂は美しく、ビー玉を少しばかり大きくした丸いガラスの珠のようだった。
「あなたのお話を聞かせてください」
女性の話を聞くべきだと思う。何かの重要なヒントになる可能性もある。
「私は……好きな人がいて、結婚をしてもいいと思っていました。でも、その人は結婚なんてする気がなかったのです。馬鹿みたいでしょ。一方的に結婚できると思っていただけなんて」
「馬鹿みたいじゃないです。人を好きになることに理由なんてないです。直感ですよ」
妙に気合の入ったコメントをしてしまった。自分自身が凛空を好きな理由に理由がないからだったのかもしれない。理由なんて後付けでいくらでもつけられる。
「その人は、今はどこにいるのですか?」
「知らず駅の駅長をしているのです」
思いもよらぬ返答だった。
「駅長をしているということは普通の人間ではないということですか?」
「最初は普通の人間でした。人間同士の時に、私たちは出会ったような気がします。今は、普通の人ではないので、死にそうな人がわかるらしいのです。この場所に囚われているのは、多分、私が彼を好きな気持ちがまだ残っているという理由なのかもしれません。彼は特別な力を持ち、この世界にとどまっています。私は少しでも彼の力になりたい。少しでも近くにいたい。ここは、知らず駅に一番近い場所ですから。でも、気づいたら死んでいました。誰に殺されたのかもわかりません」
思ったよりも、せつない女性の身の上話だった。恋愛をただしたかっただけの普通の女性だったのだろう。新たなキーワードとして、知らず駅の駅長、未解決殺人事件、わからないことがたくさんあった。
「もしかしたら、私たちがあなたを殺した犯人を突き止めることができたら、またここに来ます。知らず駅の駅長のことも何者なのか正体を掴みたいと思います」
「こんな言葉を投げかけてくれた人はいなかったわ。ありがとう。怪奇魂《かいきだま》を持って行ってください。彼によろしく」
昔ながらの切符とビー玉よりも少しばかり大きくて澄んだ黒色の珠。見る時間によって色が変化するのかもしれない。怪奇の塊にしては色はきれいだ。まるで黒真珠だ。これは、怪村、異世界行きの切符? 怖いけれど、興味も沸く。でも、一番は凛空の病の完治だ。きっとこれで発症は遅くなるはずだ。
「これで、凛空は助かるのですか?」
「ここの踏切は異世界の扉とつながっています。ですから、凛空さんの記憶と引き換えに怪奇魂《かいきだま》を渡します。病の進行は確実に遅れる保証はしますが、まだ完治とまではいきません。より多くの怪奇を体験した者の怪奇魂《かいきだま》をいただくことによって、あなたは確実に完治する方向に行くでしょう。あなたの大切な真奈さんとの記憶をください。私も他人の記憶がたまれば解放されるはずなのです」
「美人との取り引きは嬉しいけどさ、今までの大切な思い出を取引するってことだろ。もう、思い出せなくなるってことかな」
「放っておけば、確実に忘れてしまう記憶があるはずです。呪いの病はあなたの大事な人との思い出をいただくという決まりがあります。しかし、ノートに記したり、動画に残しておけば、こういった事実があったということを確認できますし、あなたの大切な彼女に教えてもらうことは可能です」
「忘れちまうってことか。真奈との記憶はどれも大事なんだけどな」
「真奈さんと過ごした中でも大切な記憶じゃないものもたくさんあります。忘れるであろう記憶から、より必要でない記憶を渡してください」
「記憶を渡すってどうやって渡せばいいんだよ?」
その質問は当然だ。
「私たち、人ならざる者は記憶を怪奇魂《かいきだま》として受け取ることができるのです。丸いボールのような形で取り引きするのです。私は喜んで取引いたします。怪奇魂が多ければ、私はここから抜け出すことができるのですから」
「交渉成立だな。こんな美人が最初でよかったよ」
真顔で言うあたり、少々ムカつくが、この男に気を遣うということはできないのだろう。無神経だし、同じ歳なのに弟みたいな頼りなさすら感じるヘタレ男。でも、好きという感情は勝手に踊りだす。私に制御は不可能だ。
「どの怪奇魂をわたくしにいただけますか?」
まさに金の斧にでもでてきそうな湖での取引のようだった。ただ、ここが人気のない心霊スポットの踏切であるというだけだ。青色の髪は長く、青白い肌色は生気を感じさせない。しかし、顔立ちの美しさというのは隠せないのは同じ女としては何とも反論できない部分だ。
「俺、無くすであろう記憶って選別できないけど、病にかかっていなくても忘れてしまった記憶はあるよな。小学生の時に真奈と過ごしたありふれた一日を渡そうと思う。でも、何もなかった日の記憶なんて思い出せないなぁ。まぁ、全部真奈との思い出は全部大事だけどな」
なに、こいつは平然とした顔で、胸をくすぐるようなセリフが言えるのだろうか。私はどうにも胸がくすぐられた喜びを感じていたけれど、勿論表には出さない。世界一大好きな人に、大事な人と言われた自分。その台詞に少しばかり酔ってもいいよね。
「あなたは、なぜ死んでしまったの? 本当に覚えていないの?」
女性にもう一度質問してみる。
「私は、多分一瞬で殺されたんだと思うのです」
普通とは違う思わぬ怪奇な返答があった。
「多分? 自覚がないってこと?」
「命なんてそんなものよ。一瞬にしてこの世のものではなくなってしまうの。世間の対応はあっという間に変わってしまう。生きている者と死んだ者への対応は全く違うのよ。私が何かを訴えても死者だと怪奇現象って言われちゃうのよ。記憶では不意打ちで殺された。でも、誰に殺されたのかもわからないのよ。警察も未解決事件として扱っているみたい」
「じゃあ、俺たちが犯人を特定出来たら、おねーさんは、囚われることなく自由になれるのか?」
「犯人も気になるけど、知らず駅の駅長のそばにいたいから」
少しばかりほほ笑む。
「じゃあ、真奈がジャングルジムから転んで俺が手当てした思い出を渡すよ。いい意味で仲が深まったとは思うけどさ」
すると凛空の体からビー玉を少し大きくした怪奇魂らしきものが出てくる。不思議な現象だったが、相手にそれが勝手に飛んでいく。色合いは空色だった。あの思い出は空色だったのだろうか。
「あなたの怪奇魂を受け取ったわ。そして、私の怪奇魂を渡した。まずは私との取引を終了できた。つまり、第一段階は終了したわ。あなたたちは知らず駅に行き、そこで怪奇を更に集めるべく話を聞いてみて。本当に彼は美しいから、好きにならないでよ」
怪奇魂といわれる珠は思ったよりも小さく、ビー玉を少し大きくした程度のようなものだった。艶があり、美しい色合いは怪奇とは全く別物のような宝石店にありそうなものだった。駅長は美しい人なのだろうか。
「怪奇って色々な色をしているの。真珠の色は光によって色合いが微妙に違うでしょ。怖いものばかりではない。あなたを救う光になると信じているわ。知らず駅は夕方4時44分にこの踏切に現れるから、明日以降来てちょうだい」
今日はもう既に夕方5時を過ぎており、不思議な駅の扉は閉ざされてしまったらしい。とは言っても、既に怪奇に出会い、私たちはお腹いっぱいな気分になっていた。普通出会わないであろう、不思議な老婆、そして、この世にいるべきではない美人。これだけで、精神をかなりすり減らす状態だ。これは夢かもしれないと頬をつねりたくなる。
「お幸せに」
彼女はそう言うと、また、電車の警告音の時間になり、ここだよという声を発していた。発したくて発しているわけではない。彼女は仕方なくというより、好きな人のそばにいたいという気持ちによってここにとどまっているという事情を知り、私たちはどっと疲れを感じる。
「俺、正直腰を抜かしそうになってた。唯一救いだったのは美人だったということだけだな」
「もしかして、腰を抜かしそうなのをごまかすために、美人で良かったなんて茶化してた?」
「……まぁ、そうなるな」
やっぱり、そんなことだと思った。
「ヘタレだなぁ」
少しばかり安堵する。彼が、本当は恐怖を紛らわせるために美人にうつつを抜かしたふりをしていたことに――。でも、美人に弱いのは事実だから、半分は本気で褒めていた可能性は充分にありうる。
「帰り、何か食べて帰ろうか? 付き合った初日だもん。記念日デートしないとね。この記憶は忘れちゃだめだよ」
「あったりめーだ。おまえとの記憶は極力忘れない。っていうか忘れたくないよ。だってさ、ずっと好きだったんだから」
こんなかわいい笑顔で言われたら、私の心臓は溶けてしまうかもしれない。まるでアイスクリームだ。彼の笑顔は熱を帯びていて、私は簡単にアイスクリームになってしまう単純女子だということに気づく。
「どこに行こうか?」
目の前にファミレスが見える。店の前にはきれいなイルミネーションが年中光輝く。これは、通行人を楽しませるためなのか、カップルの気持ちを高めるためなのか不明だけれど、心が楽しくなるというのは本当だ。
私たちはこれから思い出を作っていっても、彼の中に残るとは限らない。最悪、嫌われ、忘れられるかもしれない。こんな理不尽な恋愛はないかもしれない。でも、自分の気持ちに嘘はつけない。今、が一番大切だ。楽しい、うれしいという気持ちが一番大切だ。
今、おいしい夕食を食べて、一緒の時間を過ごす。食欲を満たしただけで人間はなぜかだいぶ幸せになる法則がある。そんなことは、だいぶ前から私は気づいていた。無意識の法則だけれど、私にとって凛空と過ごす時間はきっとどんな時間にも代えがたいと思う。
目の前のハンバーグも白飯もドリンクも全てが輝いて見える。
私たち、幸せになろう。そのために、どんな困難にも恐怖にも立ち向かおう。夕食を食べて、指を絡めながら手をつなぐ。帰り際に初めて軽くキスを交わす。恋人になったんだね。でも、いつか、こんなことはきっとできなくなってしまう。でも、呪いさえ解ければ、普通の生活ができるはずだ。呪いさえなければ――