深海姫
――……
走ってたどり着いたのは旧校舎と新校舎を繋ぐ渡り廊下で、中庭に面した空間。いつもなら吹奏楽部の生徒がパート練習をしている場所は、今日はもう部活は終わっていた。職員室からも遠い静かな暗いここでは、走ってきて切れそうな息がとても響く。
自然に上がっていく顎で上を向いた視線の先には月がすでに現れていて、もうすぐ満月のそれは、三週間くらい前に帰り道で清香先輩と話した月の周期のことを思い出させた。
俺のペースに合わせてしまい相当な負担だったらしく、清香先輩はその場で座り込みまだまだ肩で息をしていた。俺も隣に座る。
「……ごめん」
「な、に、が?」
話すのも辛そうだ。
「あんなこと言っといて、困らせることばっかした。俺。……清香先輩を……」
「ひ……久しぶりに、全力疾走して、楽しかったわ」
「清香先輩の好きな人に、喚いてきちゃった」
「――もう、好きかどうかも怪しかったかもしれないの。長く近くに居すぎた、執着だったのかも……」
「恋をする清香先輩を、俺は近くで見てきたよ? 清香先輩が恋をしてたから、俺はこんなに歯がゆくてしんどくて感情が豊かになったんだ」
「そ……っか」
「もっと、どっかのカッコいい王子様みたいにさ、お姫様みたいな清香先輩を大切にしたかったのに、結局は自分の勝手で動くだけだった……。もっと大切に慰めて、大切にして元気になってもらって、優しくして、大切に大切にして。いっぱい心を俺で揺らせて、俺を想ってくれるように、なってほしかったんだ」
結局は何ひとつ上手くいかなかった俺に、やがて息を整えた清香先輩が一歩、歩み寄ってくれる。
「私だって、あいつと同じくらいずるいことをしてたわ。杉浦くんの優しさとか気持ちがとても心地よくて、糧になって、……応えられるかもわからない、返せるかもわからないものに守られてたの。そんな私はお姫様なんかじゃ……」
「そんなことわかってたし、それでも、清香先輩は俺のお姫様だよ」
「私には贅沢なくらい、杉浦くんは王子様だよ」
そう言ってくれて頭を撫でられる俺と、撫でてくれる清香先輩の気持ちが、同じなわけないのは解っている。
けど、それでも、心はとても幸せだった。
もうすぐ冬になってまた春がきて、夏も秋もそれからもずっと、あなたと一緒にいられたらいいのに。月夜にまぎれて伝えた。
――END――