七夕前夜【改】
第二夜 繋がり
言葉
喉の渇きを感じた詩織は、結露ですっかり水浸しになったグラスをテーブルから取り、ぬるくなったアイスティーを口にした。ふと、スマホを見ると、通信アプリの新着通知を知らせるランプが瞬いているのに気づく。
龍彦と話している間に、メッセージが届いていたらしい。差出人は、彼女の母親からだった。昨日の返信の返事かと思い、憂鬱な気分で、詩織は通知を開く。
……やっぱり帰省しないのか、付き合っているという男と会ったりしていないか、という以前と同じような内容だった。
――こんな時だからしないし、会ってないって返したばかりなのに……
いつもの事だが、こんな風に落ち込んでいる時は、本当に嫌になる。何か不都合な事が起こると、彼女の母はいつにも増して、自分中心になる。信用していないのか、話を理解していなかったのか……
両親が共働きということもあり、年の離れた妹は保育園に預けられていたので、小学生までは一人で過ごすか、妹の面倒を見ることが多かった。
当時は、今よりも人見知りで大人しい性格で、友達との付き合いもあまり盛んではなかった。絵本を読むか、アニメを観てばかりいる子供だったらしい。小学生になってからは、放任主義という名の、放置主義だった。
『あなたは聞き分けのいいこだから、信用してるの』
『困った時は、ママかパパに何でも言ってね』
しかし、具合が悪い時や友人関係や勉強の悩みがある時、両親が助けてくれたことはなかった。クラスメイトに意地悪を言われ仲間外れにされた時、思い切って母に口にした事がある。
返ってきた『気にし過ぎじゃないの?』という言葉と煩わしそうな表情…… あの時の裏切られたようなショックは、今でもはっきりと覚えている。
それ以来、一切、親に心を開くことはなかった。少し成長した後は、親も仕事が大変でかまっていられなかったのだろう、と理解しようとした。が、進学や就職など、将来の重大な決断を迫られる時期になった途端、口うるさく干渉してくるようになった瞬間、全てを覚り、崩れ落ちた。
『あなたは弱いから』
『何も出来ないから』
『心配だから』
『これ位にしておきなさい』……
自分の何を理解しているのだろう。信じていたのは結局、口先だけの思い、その場しのぎの慰め、事なかれ主義……保身故の戯れ言だったのだと、最後の何かが、砕け散った。
そんな詩織にとって、口数は少なくとも、困っている人間を率先してフォローしようとする龍彦に会った時は、本当に驚いた。
尚且つ、偉ぶる訳でも見下すこともなく、たまに口にする言葉や行動には、誠意と思慮がこもっている。それに気づいた時、自分が彼に惹かれ、恋に落ちていることに気づいた。年は下でも、彼の側は居心地が良く、安心できたのだ。
追加のメッセージが来た。警笛のように、着信音が鳴る。
『心配してるのよ』
――もう、何も聞きたくない。見たくない。中身の無い、耳障りの良い言葉だけの思いは…… もう、いらない。
三角座りをして、汗ばんだ膝元に顔を埋めた。目頭の熱さがぶり返し、再び、水の膜で滲む。
――今は、ただ…………会いたい。
同じ頃。龍彦もスマホの通知を黙々とチェックしていた。数件のメッセージが届いている。筆無精な方だったが、今年は家に居ることが多かったのもあり、友人や家族とやり取りする回数が増えたのだ。
暫くの間、音沙汰のなかった地元の友人からも連絡が来るようになり、就活やバイトの合間に、ちょくちょく返信している。詩織とビデオ通話している間、その友達からの返信があったようだった。
他愛ないやり取りばかりだが、懐かしさや彼らの近況が気になっていたのもあり、今の状況下の気晴らしになっている。最近は、盆休みの帰省の話やら就活の話が多い。前回もそんな傾向だったが、今夜のメッセージに、龍彦は少し動揺した。
『付き合ってる彼女とは、どう? まだ続いてる?』
『俺の周り、会えないうちに自然消滅したり、別れる奴増えてるんだわ。大丈夫か?』
絶妙のタイミングに、思わず息をのむ。さっき、その件で彼女が泣いたばかりだ。少し躊躇った後、返信する。
『なんとか続いてる。バイト先は同じだし』
暫くして、メッセージが返って来た。
『なら、いいけど。お前、真面目だけど言葉足らずじゃん。不安にさせないようにな』
内心、気にしていた事を突かれ、ぐさり、ときた。この男は、人付き合いの苦手な龍彦が、心許せる貴重な地元の友人だ。本当に心配して言ってくれているのは解っていた。
今までに、大学の同級生や先輩、家族にまで、色々な言葉を言われてきたのだ。
『大事な時なんだし、別れるまではいかなくても、ちょっと距離おくとかしたら?』
『色々気になって面倒じゃねぇの?』
『別にその人じゃなくても、良くね?』
『彼女欲しいなら落ち着いてから、また作ればいいじゃん』
……何度、同じようなフレーズを聞いただろうか。そんな事は十分にわかっている。今の状況下に、自分の口下手さが伴って、彼女を不安にさせていることも。
だけど、どう考えても踏み切れない。エゴだとわかっているのに、詩織を離したくない自身をもて余していた。
龍彦と話している間に、メッセージが届いていたらしい。差出人は、彼女の母親からだった。昨日の返信の返事かと思い、憂鬱な気分で、詩織は通知を開く。
……やっぱり帰省しないのか、付き合っているという男と会ったりしていないか、という以前と同じような内容だった。
――こんな時だからしないし、会ってないって返したばかりなのに……
いつもの事だが、こんな風に落ち込んでいる時は、本当に嫌になる。何か不都合な事が起こると、彼女の母はいつにも増して、自分中心になる。信用していないのか、話を理解していなかったのか……
両親が共働きということもあり、年の離れた妹は保育園に預けられていたので、小学生までは一人で過ごすか、妹の面倒を見ることが多かった。
当時は、今よりも人見知りで大人しい性格で、友達との付き合いもあまり盛んではなかった。絵本を読むか、アニメを観てばかりいる子供だったらしい。小学生になってからは、放任主義という名の、放置主義だった。
『あなたは聞き分けのいいこだから、信用してるの』
『困った時は、ママかパパに何でも言ってね』
しかし、具合が悪い時や友人関係や勉強の悩みがある時、両親が助けてくれたことはなかった。クラスメイトに意地悪を言われ仲間外れにされた時、思い切って母に口にした事がある。
返ってきた『気にし過ぎじゃないの?』という言葉と煩わしそうな表情…… あの時の裏切られたようなショックは、今でもはっきりと覚えている。
それ以来、一切、親に心を開くことはなかった。少し成長した後は、親も仕事が大変でかまっていられなかったのだろう、と理解しようとした。が、進学や就職など、将来の重大な決断を迫られる時期になった途端、口うるさく干渉してくるようになった瞬間、全てを覚り、崩れ落ちた。
『あなたは弱いから』
『何も出来ないから』
『心配だから』
『これ位にしておきなさい』……
自分の何を理解しているのだろう。信じていたのは結局、口先だけの思い、その場しのぎの慰め、事なかれ主義……保身故の戯れ言だったのだと、最後の何かが、砕け散った。
そんな詩織にとって、口数は少なくとも、困っている人間を率先してフォローしようとする龍彦に会った時は、本当に驚いた。
尚且つ、偉ぶる訳でも見下すこともなく、たまに口にする言葉や行動には、誠意と思慮がこもっている。それに気づいた時、自分が彼に惹かれ、恋に落ちていることに気づいた。年は下でも、彼の側は居心地が良く、安心できたのだ。
追加のメッセージが来た。警笛のように、着信音が鳴る。
『心配してるのよ』
――もう、何も聞きたくない。見たくない。中身の無い、耳障りの良い言葉だけの思いは…… もう、いらない。
三角座りをして、汗ばんだ膝元に顔を埋めた。目頭の熱さがぶり返し、再び、水の膜で滲む。
――今は、ただ…………会いたい。
同じ頃。龍彦もスマホの通知を黙々とチェックしていた。数件のメッセージが届いている。筆無精な方だったが、今年は家に居ることが多かったのもあり、友人や家族とやり取りする回数が増えたのだ。
暫くの間、音沙汰のなかった地元の友人からも連絡が来るようになり、就活やバイトの合間に、ちょくちょく返信している。詩織とビデオ通話している間、その友達からの返信があったようだった。
他愛ないやり取りばかりだが、懐かしさや彼らの近況が気になっていたのもあり、今の状況下の気晴らしになっている。最近は、盆休みの帰省の話やら就活の話が多い。前回もそんな傾向だったが、今夜のメッセージに、龍彦は少し動揺した。
『付き合ってる彼女とは、どう? まだ続いてる?』
『俺の周り、会えないうちに自然消滅したり、別れる奴増えてるんだわ。大丈夫か?』
絶妙のタイミングに、思わず息をのむ。さっき、その件で彼女が泣いたばかりだ。少し躊躇った後、返信する。
『なんとか続いてる。バイト先は同じだし』
暫くして、メッセージが返って来た。
『なら、いいけど。お前、真面目だけど言葉足らずじゃん。不安にさせないようにな』
内心、気にしていた事を突かれ、ぐさり、ときた。この男は、人付き合いの苦手な龍彦が、心許せる貴重な地元の友人だ。本当に心配して言ってくれているのは解っていた。
今までに、大学の同級生や先輩、家族にまで、色々な言葉を言われてきたのだ。
『大事な時なんだし、別れるまではいかなくても、ちょっと距離おくとかしたら?』
『色々気になって面倒じゃねぇの?』
『別にその人じゃなくても、良くね?』
『彼女欲しいなら落ち着いてから、また作ればいいじゃん』
……何度、同じようなフレーズを聞いただろうか。そんな事は十分にわかっている。今の状況下に、自分の口下手さが伴って、彼女を不安にさせていることも。
だけど、どう考えても踏み切れない。エゴだとわかっているのに、詩織を離したくない自身をもて余していた。