七夕前夜【改】
第三夜 夢物語
移り変わる努々(ゆめゆめ)
ぐっ、と早まる鼓動を抑え、ハサミを使って丁寧に封を開ける。彼らしい真っ白でシンプルな便箋に、黒のボールペンで書かれた文字が、数行並んでいる。
――こんな字だった……?
彼が書いたものは、バイト先で少し見ただけだ。心なしか、その時よりも整えて書かれている気がする。
――初めての手紙だから、丁寧に書こうとしてくれたのかな
暑さで火照る身体の奥が、更に温まった。何とも言えない高鳴りを抱えながら、ゆっくりと文面を読んでいく。
『久しぶりです。っていうのもおかしいか。毎日、暑すぎますね。
実は、この前の通話で言いそびれたけど、少し前に用事で降りた駅で、初めて二人で会ったカフェの前を通りました。
今の状況が落ち着いたら、また一緒に行きたいですね』
――覚えてて、くれてた……
この前言ってくれたら良かったのに……と少し思ったが、照れ臭くて顔を見ては言い出せなかったのだろうか…… 彼らしいな、と何だか嬉しくなる。
手紙交換……文通という古風なスタイルだけど、このやり方は良かったかもしれないと、ふさがっていた道が、少し開けた気がした。
早速、返事を書き、送った。勿論、あの星柄のレターセットを使って、だ。書き始めると、あっという間に便箋一枚分が埋まった。本当は二枚目も書きたかったが、さすがに引かれるかと思い、止めた。読むのも大変だろうと思ったからだ。
内容は、他愛ない事ばかりだった。些細な出来事、最近のバイト先での悩み、龍彦の様子や体調を聞いたり、最近、見つけた面白そうな本の事……
ビデオ通話やメールだけでは足りなかった事を、彼に直接語りかけるように綴った。そこには居なくとも、顔や姿を思い浮かべ、好きな人の事を考える時間は、とても貴重で……いとおしく思えた。
九月に入り、暫く経った頃。以前、店長が言った通り、長引く外出禁止令で客足が乏しくなった、バイト先の本屋の閉店が決まった。元々、通販などの影響で、経営が苦しかったという。実店舗の本屋の空間が好きだった詩織は悲しんだが、感傷に浸る余裕はなかった。
働き口を失った彼女と龍彦は、暫くの間、新しいバイト探しに奔走する。台風が迫っていた中、詩織は掛け持ちしていた洋食屋のシフトを増やし、龍彦はコンビニで働き始めた。
「仕事が見つかっただけ、良かったよね」
そんな風にビデオ通話で言い合ったが、唯一、顔を合わせられる機会も失い……直接、リアルに会えることは、完全に無くなった。
初秋。夜の温度が急激に下がると共に、二人は多忙になり、ビデオ通話やメールの頻度も減ってしまった。が、月に二回程の手紙のやり取りは、なんとか続けている。これが予想以上に、確かな拠り所になっている事に、互いに戸惑い、驚いていた。
『やっと涼しい日が増えましたね。この前、就活の関係で、シオがバイトしてる洋食屋の近くに来たので、中を覗きました。
だけど、見当たらなかったので残念です。急いでたから無理だったかもしれないけど、シフト聞いておけば良かったと思いました』
そんな内容が書かれた、十月に入って最初の手紙に、思わず「えぇ!?」という声を一人であげた。暫く後、ふふ……と気の抜けた声が、力なく零れる。可笑しいのか嬉しいのかも分からない。
だが、龍彦とまともに会えなくなってから、久しぶりに明るい気持ちになった事に気づく。そしたらまた笑えて、ちょっとだけ無性に……泣けた。
そんなある日。妹から通信アプリで『少し話したいんだけど、いい?』というメッセージが届いた。
母とは少し距離を取っていた詩織だが、年の離れた妹……香織とは、たまに近況報告する関係だった。彼女が幼児期の頃から、母に代わって面倒を見ていたからか、わりと詩織になついている傾向があったのだ。
香織も詩織同様、架空の物語が好きな少女だったが、活動的だった。映画や舞台が好きで、第二志望だが外国語が学べる有名大学に合格し、演劇サークルに入る事を考えていた。
だが、いざ入学して間もなく、感染症が流行り出し、授業は全てオンライン。サークルも舞台上で密接するという理由で、活動は完全に休止中。発表どころか練習すら出来ず、友達作りもままならない状態というのは、春先に聞いていた。
彼女が夢見ていた学生生活は、一人暮らしのマンションとバイト先のみで、今でも行われている。高校の卒業式すら無くなり、失ったのだ。
「ねぇ、お姉ちゃん……」
通話を繋ぎ、そんな近況を改めて聞いた後、ぽつり、と香織が漏らした。
「……何で私達、この時代に当たったんだろね」
普段、あまり泣き言を言わない妹の一言が、詩織の心に刺さった。奥深くに隠していた、彼女の本音が現れ、浮き彫りになってゆく。
「前の……世代っていうの? その時は、こんな事なかったんでしょ? ……不公平だよね。今更だけど…… ハズレくじ引かされた気分。なのに親も先生も先輩達も、『仕方ない』で片付ける。わかるけどさ……」
怒りを通り越した、虚しい諦めと悟り、そして痛切な叫びが、一人の少女のとりとめない声で、一つの形になっていた。
――こんな字だった……?
彼が書いたものは、バイト先で少し見ただけだ。心なしか、その時よりも整えて書かれている気がする。
――初めての手紙だから、丁寧に書こうとしてくれたのかな
暑さで火照る身体の奥が、更に温まった。何とも言えない高鳴りを抱えながら、ゆっくりと文面を読んでいく。
『久しぶりです。っていうのもおかしいか。毎日、暑すぎますね。
実は、この前の通話で言いそびれたけど、少し前に用事で降りた駅で、初めて二人で会ったカフェの前を通りました。
今の状況が落ち着いたら、また一緒に行きたいですね』
――覚えてて、くれてた……
この前言ってくれたら良かったのに……と少し思ったが、照れ臭くて顔を見ては言い出せなかったのだろうか…… 彼らしいな、と何だか嬉しくなる。
手紙交換……文通という古風なスタイルだけど、このやり方は良かったかもしれないと、ふさがっていた道が、少し開けた気がした。
早速、返事を書き、送った。勿論、あの星柄のレターセットを使って、だ。書き始めると、あっという間に便箋一枚分が埋まった。本当は二枚目も書きたかったが、さすがに引かれるかと思い、止めた。読むのも大変だろうと思ったからだ。
内容は、他愛ない事ばかりだった。些細な出来事、最近のバイト先での悩み、龍彦の様子や体調を聞いたり、最近、見つけた面白そうな本の事……
ビデオ通話やメールだけでは足りなかった事を、彼に直接語りかけるように綴った。そこには居なくとも、顔や姿を思い浮かべ、好きな人の事を考える時間は、とても貴重で……いとおしく思えた。
九月に入り、暫く経った頃。以前、店長が言った通り、長引く外出禁止令で客足が乏しくなった、バイト先の本屋の閉店が決まった。元々、通販などの影響で、経営が苦しかったという。実店舗の本屋の空間が好きだった詩織は悲しんだが、感傷に浸る余裕はなかった。
働き口を失った彼女と龍彦は、暫くの間、新しいバイト探しに奔走する。台風が迫っていた中、詩織は掛け持ちしていた洋食屋のシフトを増やし、龍彦はコンビニで働き始めた。
「仕事が見つかっただけ、良かったよね」
そんな風にビデオ通話で言い合ったが、唯一、顔を合わせられる機会も失い……直接、リアルに会えることは、完全に無くなった。
初秋。夜の温度が急激に下がると共に、二人は多忙になり、ビデオ通話やメールの頻度も減ってしまった。が、月に二回程の手紙のやり取りは、なんとか続けている。これが予想以上に、確かな拠り所になっている事に、互いに戸惑い、驚いていた。
『やっと涼しい日が増えましたね。この前、就活の関係で、シオがバイトしてる洋食屋の近くに来たので、中を覗きました。
だけど、見当たらなかったので残念です。急いでたから無理だったかもしれないけど、シフト聞いておけば良かったと思いました』
そんな内容が書かれた、十月に入って最初の手紙に、思わず「えぇ!?」という声を一人であげた。暫く後、ふふ……と気の抜けた声が、力なく零れる。可笑しいのか嬉しいのかも分からない。
だが、龍彦とまともに会えなくなってから、久しぶりに明るい気持ちになった事に気づく。そしたらまた笑えて、ちょっとだけ無性に……泣けた。
そんなある日。妹から通信アプリで『少し話したいんだけど、いい?』というメッセージが届いた。
母とは少し距離を取っていた詩織だが、年の離れた妹……香織とは、たまに近況報告する関係だった。彼女が幼児期の頃から、母に代わって面倒を見ていたからか、わりと詩織になついている傾向があったのだ。
香織も詩織同様、架空の物語が好きな少女だったが、活動的だった。映画や舞台が好きで、第二志望だが外国語が学べる有名大学に合格し、演劇サークルに入る事を考えていた。
だが、いざ入学して間もなく、感染症が流行り出し、授業は全てオンライン。サークルも舞台上で密接するという理由で、活動は完全に休止中。発表どころか練習すら出来ず、友達作りもままならない状態というのは、春先に聞いていた。
彼女が夢見ていた学生生活は、一人暮らしのマンションとバイト先のみで、今でも行われている。高校の卒業式すら無くなり、失ったのだ。
「ねぇ、お姉ちゃん……」
通話を繋ぎ、そんな近況を改めて聞いた後、ぽつり、と香織が漏らした。
「……何で私達、この時代に当たったんだろね」
普段、あまり泣き言を言わない妹の一言が、詩織の心に刺さった。奥深くに隠していた、彼女の本音が現れ、浮き彫りになってゆく。
「前の……世代っていうの? その時は、こんな事なかったんでしょ? ……不公平だよね。今更だけど…… ハズレくじ引かされた気分。なのに親も先生も先輩達も、『仕方ない』で片付ける。わかるけどさ……」
怒りを通り越した、虚しい諦めと悟り、そして痛切な叫びが、一人の少女のとりとめない声で、一つの形になっていた。