新くんはファーストキスを奪いたい
(あれ私、さっきちゃんとお礼言った?)
確かに今朝の新には腹が立った鞠だけど。
一晩預かったメモ帳を持ち主の元に帰してくれたことに対して、お礼一つも言えない自分の方が人としてありえない。
感謝の言葉がなかったせいで、拗ねた新が揶揄ってきたのかもしれないし。
そう考えると、今朝の行為で先に問題があったのは自分だと反省した。
すると、車内の人口密度が先ほどよりも増して、電車の扉が閉じられる。
停車していた駅を発車し徐々に加速していく電車の中で、鞠は少しだけ違和感を覚えた。
(帰りの電車、いつもこんなに混んでたっけ?)
そう思って顔を上げると、車窓に映し出された景色が明らかにいつもと違うものだった。
鞠が帰宅するときに電車から見える景色は、徐々に閑静な住宅街へ向かうようなもので。
だけど今見ている景色は、高いビルや広告板が多く確認できていて、何だか都会に向かっている。
慌てて車内の電光掲示板を確認すると、自分が上り電車に乗ってしまったことにようやく気づいた。
(最悪! 逆方面の電車だこれ……!)
考え事をしていたせいで乗り込む電車の行き先確認を怠った。
その結果、自宅から遠ざかってしまった鞠は逆方向の二駅目に向かっているところ。
(はあ、今日もツイてない……)
仕方なく次の駅で降りることを決めた鞠は、大きなため息を漏らした時。
ふと車内の広告に目を止めた。
そこには、次の駅の東口に新しくオープンしたクレープ屋の広告。
苺やバナナといった定番の果物を包むクレープの写真に、疲労を感じていた鞠の心が癒されて。
その瞳はキラキラと輝きを放ち始めた。