香らない恋もある。
「そういえばさ」

 蓮がぽつりと独り言のように呟く。

「小学校三年生の時に、おれ、家出したことあったよな」

「ああ、あったね! 蓮のおばさんが血相変えて家に来てさー。『蓮しらない?』って。もう大変だったよ。夜九時過ぎてたし」

「まあ、家出っつても近所の公園のタコの滑り台のトンネルの中に隠れてただけだけどな」

「そうそう。あれはちょっと笑った」

「萌香が最初に見つけてくれたよな」

「うん。お母さんも一緒だったけどね……って、なんで急にそんな話を」

「いや、ちょうどこのくらい寒い時期だったなあと思って」

 蓮はそういうと、暗くなりかけてきた空を見上げた。
 彼の横顔を見て、わたしは胸がしめつけられる。

 蓮が家出をしたと聞いた時、わたしは本当に心配をしたんだから。
 あの時の気持ちがなんなのか。
 今ならわかる。

 これは恋だ。

 だけど、隣の蓮は恋の香りがまだしない。

 ああ、そういえば、家出をした時、蓮からものすごい良い花の香りがしたっけ。

 すぐに香りが消えてしまったから、トンネルに残っていた香りなのか、蓮の恋の香りなのかは区別がつかなかったけど。
 今はその時のことが妙に恋しい。

 あのくらいの良い花の香りがしたら、わたしは安心して蓮のことをこのまま好きになれるのに。
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