その道にひそむもの
後ろから呼ぶ声がした。
びくりと肩が震える。びっくりしすぎて、一人なのに恥ずかしくなった。
知らない声だ。私を呼んでるわけじゃない。多分。
なんだ、普通にみんな通るんじゃん! 思いながら、少し大股で進む。
おーい、おーい。
さっきより声が近づいて、わたしはもっと肩がはねた。どんどん早歩きになる。
今の、男の人の声だったかな。
わたしはポケットの防犯ベルの存在を確かめる。わたしなんか痴漢にあったりしないって言ったのに、お母さんに持たされてたものだった。
痴漢が怖いときとかは、時々後ろを振り返ったりして、警戒してる素振りを見せたほうがいいと何かで見た。
だけど、振り返ったらだめだって、さっき。
「ちょっと、待ってよ!」
もっと近くからまた声がした。
え、おかあさん? ふと速度がゆるむ。恐くて寒くて、知ってる声にホッとした。なんてタイミング、おかあさんすごい!
とにかくひとりでいたくなくて、わたしは振り返り――かけた。
でも、お母さんがこんなとこにいるのおかしい。こんな学校の帰り道の、それも本来の道じゃないところ。わたしに用事があったにしたって、こんなところ来るわけない。
振り返っちゃだめ、と言われた言葉をまた思い出して、ゾクリと寒気が襲ってきた。
「ねえ助けて! 助けて!」
お母さんの声が叫ぶ。さっきよりも近かった。
どうしよう。わたしは泣きそうになった。どうしよう、お母さんだったらどうしよう。――お母さんじゃなかったらどうしよう。
事故なんてそんなに起こらないって斉藤さんは言ったけど、事故って急に起こるものじゃないの?
いざっていうときは、前を向いたまま後退ればいいって言ってたけど、そんなこと言ってる場合じゃないような、大変なことが起こってるのかもしれない。でも、お母さんがなんでこんなところにいるの?
「ねえ」
また声がする。真後ろ。吐息がかかりそうなくらい。すぐ近く。
――斉藤さんの声。
息が喉の奥に貼り付く。
甲高くて細い音が出ただけで悲鳴なんか出ない。わたしはとにかく走り出した。頭は真っ白だったのに、体が本能で動いてるみたいだった。
「待ってよ」
斉藤さんの声が追いかけてくる。
それでもわたしは走った。足がもつれて転んでも、振り返らないで走った。
斉藤さんはこんなところにいない。この道を追いかけてきたりしてない。
もしかしたら、あんな顔をしてあんな忠告してくれたけど、ただのイタズラで、明日クラスで馬鹿にされるのかも、とも思ったけど。
でも、違う。
斉藤さんはそんな子じゃないように見えたし。わたしが全然知らないだけで、もしかしたら騙されてるのかも知れないけど。でも、もしそうだとしても。
――ぜったい、ちがう。
だって、後ろを追いかけてくる足音がしない。