その道にひそむもの


「矢口さん!」
 また声がした。わたしを呼んでる。私の名前を。
 前から。
 返事、していいんだっけ。分からなくなった。
 わたしは必死で走った。道はすぐアスファルトになって、広くなった。前が明るい。

「矢口さん! 大丈夫!?」
 坂道の下、外灯のそばに、メガネの制服の少女がいた。肩で息をしている。後ろからも前からも同じ声がするのに。
 涙が出るくらいホッとした。


「斉藤さん、どうしてここにいるの!?」
 ものすごい勢いで走って、わたしはそのまま斉藤さんに抱きついた。いきなり止まれなかったのもあったし、とにかく恐かった。何かにしがみつきたかった。
「やっぱりもっとちゃんと止めるか、一緒に行けば良かったと思って。ごめんね」
 そうだったんだ。斉藤さんをちょっと疑ったことを後悔した。
 斉藤さんの体温があったかくて、わたしは自分がとにかく冷えきってたのに気がついた。

「大丈夫? 震えてない? 何かあった?」
 斉藤さんはわたしを迷惑がったりしなかった。だけど、声が怯えてるのにわたしは気付いた。
 斉藤さんは知ってるんだ、あれのこと。――多分、この町の人は知ってるんだ。
 自分の体験したことを思い出して、またゾッとした。口にするのも恐かった。
 わたしは斉藤さんを話して、薄ら笑いを浮かべた。
「え、何、なんのこと? 大丈夫だよ」
 声が震えてしまった。恐い思いを打ち消すように、今度は勢いよく言った。
「暗くて恐かっただけ!」
 あはは、と無理矢理笑う。斉藤さんは、ホッとしたように言った。
「矢口さん変わってるよね」
 よく言われる、とわたしはまた無理矢理笑う。
「わたしこそごめんね、話してたのに、途中で変なとこ曲がったりして」
 いいよ、と斉藤さんは笑う。帰ろう、こっちもうちょっと道一緒だよね、と言ってくれた。
 それから、ビックリしたように言う。

「ねえ、膝、大丈夫?」
 言われて気がついた。転んですりむいた膝が、血まみれで真っ赤になっていた。気付いた途端、ものすごく痛い。
 うわーっとわたしはわざと大きな声を出す。やっとなんだか恐いのが抜けてきた。
「大丈夫、家帰ってからなんとかする」
「えー血まみれで歩くの!?」
 矢口さんはあきれ顔で笑った。わたしたちはどちらからともなく歩き出す。わたしはそのまま、なるべくさりげなく言った。
「ねえ斉藤さん、あした、一緒に帰ろう」
 いいよ、と斉藤さんは明るく答えてくれた。


 ――ねえ、ここ何がいるの? 何があったの? わたしはどうなるところだったの?
 聞きたかったけど、聞けなかった。

 あれが、どこまでも追いかけてきそうで。
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