出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
 見送りに出ていた孝匡が戻ると、高木が座っていた場所に腰掛けた。

「本当に良かったのか?」

 変わらぬ難しい表情で孝匡は尋ねる。それに実乃莉はコクリと頷いた。

「はい。こうするしか納得いただけないでしょうし。それに……私は本気で婚約解消を申し出るつもりです」

 苦手だと思っていた父に、こうもはっきりと自分の気持ちを伝えられる自分に驚く。ずっと怖くて、何か言えば叱られるのではないかとオドオドしていたのに。

「そうか。ちゃんと考えて決めたことなのだろう?」
「もちろんです。最善の道を選んだつもりです。結果がどうであれ、私は後悔しません」

 揺るぎない瞳を真っ直ぐ向けて孝匡に答える。孝匡は驚いたように目を見張ったあと、ふわりと表情を緩めた。

「急に……大人びたな、実乃莉。自分の考えていることをきちんと口に出せるようになった」

 実乃莉の前にいるのは、いつも堅い表情の父の顔ではない。初めて見る、優しい父の顔だった。

「私はずっと心配だったんだ。私が父……お前の祖父の言いなりだったばかりに、お前にも我慢を強いることばかりだった。それでも、良い縁があれば救われることもあるだろうと思っていた。結局は家柄だけで、実乃莉のことを見ようとしない相手が群がってきただけだったのに」

 孝匡が自分の父に強く出られないのはわかっていた。幼い頃からそんな姿を見ていたから。けれど祖父は歳を取り、その立場はだんだんと変化していったように思う。

「本当は……もっとたくさんお話がきていたんですよね。お父さんはそれを断ってくださっていた。最近それを知りました。龍さんのご友人、皆上先生の秘書の方が教えてくださいました」

 遠坂から連絡があったのは今日の昼間だ。会社に電話があり、実乃莉と龍の周りを取り巻いている状況を知っている範囲で教えてくれた。
 その時に遠坂はこう言った。

『実乃莉さんに縁談を申し入れた人間はかなりいたが、全部断られている。高木だけは斎藤先生との関係もあり、見合いと言う形で受け入れたらしい。君の父上は断る前提だったようだが』

 知らなかった事実。てっきり自分は断るすべもなく結婚させられるのだと思っていた。けれど本当は、ちゃんと自分のことを考えてくれていたのだと今になって知ったのだ。

「お父さん。今までありがとうございます。私がこんなに強くなれたのは、龍さんと出会ったからです」

 始まりは間違いでも、宝物のように大切な出会いで、何よりも愛しい人だから。
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