出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
「龍さん。お疲れなのにこんなところに呼び出してしまい、すみません」
「いや……。改まって話しって……」

 先に実乃莉が話し出す。どうしても一言だけ、先に言っておきたいことがあるから。そしてそれに、龍はどこか憂いた表情で返した。

「龍さん。この席、覚えていらっしゃいますか?」
「……。ああ」
「ここから……やり直そうと思います」

 実乃莉は背筋を伸ばし、龍に向かって真っ直ぐに視線を送る。それに龍は驚いたように目を開いた。

 自分の意図を察してくれるだろうか? それを一番怖れていた。もうこれ以上、何も知らせることはできない。けれど自分がやろうとしていることをきっと龍はわかってくれる。今はそれに全てを賭けるしかないのだから。

「実乃莉? 何があった?」

 龍が表情を曇らせているその先に、彼女の姿が近づいてくるのが見える。龍の背後から現れるということは、視界に入らないようわざと遠回りしているのだろう。
 秋らしく深みのあるワインレッドのロングワンピースを翻し、黒いピンヒールで颯爽と彼女はこちらに向かって来た。

「お待たせ」

 自信に満ちあふれているその美しい顔は、不遜な笑みを浮かべ実乃莉を見下ろしていた。

「瞳子? なんでここにいる?」

 明らかに不快感を露わにする龍に、瞳子は楽しげな表情を見せた。

「あら。私はこの子に呼ばれてきただけよ? そうよね?」

 フフッと笑いながら瞳子は断りなく龍の隣に座る。それに険しい表情をしたあと龍は実乃莉に向いた。

「本当か?」
「はい。私がお呼びしました」

 実乃莉が答えると瞳子は「ほら。いったでしょう?」と龍にしなだれかかるように腕に触れている。

「どうしてだ? 瞳子は何も関係ないだろう」

 獲物を震え上がらせるような鋭い瞳で龍は問う。実乃莉は怯むことなく口を開いた。

「証人になっていただこうと思ったからです。私たちの……婚約解消の」

 愕然とした表情で実乃莉を見る龍と、平然と、それが当たり前だと言わんばかりの瞳子の顔。それを実乃莉は、なんの感情も表に出すことなく眺めていた。
 しばらくして、小さく笑い声を漏らしながら声を発したのは瞳子だった。

「そう! やっぱりあなたと龍じゃ不釣り合いですもの。ようやくわかったのかしら。今だって、なぁに? その見窄らしい格好! お嬢様なんて言われてるのにドレスコードも知らないのかしら?」

 勝ち誇ったように瞳子は実乃莉を蔑む。けれど構わない。自分のことは何と言われようと。その矛先が龍に向かわないのなら。
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