出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
「大きなプロジェクトもやっと終わったし、打ち上げに飯でもどうかと思って。急な話だし、無理しなくていいぞ?」
「だっ、大丈夫です。ぜひ……。お願いします」

 龍との食事なんて、最初の一回しかない。その後は職場で会うだけで、誘われたのは初めてだ。絶対に行きたいと実乃莉は慌てて返事をした。

「ま、あまり遅くならないうちに送るからな」

 龍はいつもの軽い口調で実乃莉に言った。
 実乃莉の家はあまり遅く帰ることを良しとはしないが、それでも成人してからは少し緩やかになっている。それに、父も相手が龍なら何も言わないだろう。なにしろ、龍に絶大の信頼を寄せているようだから。

 父に交際していると伝わった日、龍は実乃莉の家へ出向いた。そして両親の前で堂々と、作っておいたシナリオを淀みなく語ったのだ。皆上の名前はそれだけで信用に値したようだ。父は実乃莉が恐る恐る願い出た、龍の会社で働くこともあっさり了承したのだった。

「時間と店はあとでメールする。他には? なんか困ってることはないか?」

 お互いの家の、近しいものにしか知られていない交際相手。それは便宜上だけで、恋愛感情などあるはずもない。けれど龍は、実乃莉が入社してからずっと気にかけてくれている。それが実乃莉には何よりも嬉しかった。

「はい。ありません」
「あれば遠慮なく言えよ? 実乃莉は頑張りすぎて抱え込みそうだからな」

 龍は座った前まま実乃莉に手を伸ばし、ぽんぽんと頭を撫でる。

(子ども扱い……されてるんだろうな……)

 複雑な心境だが、そう思っていても体は勝手にカァっと熱くなる。

「そのときはちゃんとご報告します」
「絶対だぞ?」

 頰を熱らせたまま実乃莉は自席に戻る。龍が作業を再開しキーボードを叩く気配を遠くに感じながら、実乃莉は両手で頰を覆った。

(仕事、頑張らなきゃ!)

 自分を励ますと、実乃莉は手元の書類の整理を始めた。
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