「小説 ヴォツェック」
アルテハイムの町(1)
アルテハイムの町(1)
バスの乗客は私を含めて四人だけだった。一人はサングラスをかけた年配の男性で、大きなトランクを二つ持っていた。他には子供連れの母親がいた。母親は見慣れぬ外国人が乗り合わせた不安からか子供をしっかり抱きかかえていた。
私が訊ねようとしているのは南ドイツの町である。
フランクフルトから特急列車で出発し、ローカル鉄道に乗り換えてナーゴルトという町に着いた。ここは「黒い森」にも近い町だ。私はナーゴルトに宿をとってあった。ホテルで訊ねると目的の場所、アルテハイムにはバスで二時間ほどかかるということだった。しかも、朝夕の二本だけしかなく、チェックインした午後三時にはすでに夕方のバスが出ていた。そこで、翌朝のバスで行くことにした。
バスは二十人がやっと乗れる程度の大きさで、後ろの一列は座席を取り外して荷物が置かれていた。ナーゴルトから食料品や衣服などを積んで近隣の町に届けるのだろう。ナーゴルトを出てしばらくは舗装された道路だったが、それが石畳の道に変わり、すぐに砂利道になった。ときどき思い出したように家が一軒、また一軒と見えた。家の周囲には果樹園が広がっていた。朝九時に乗ったから、まだ昼前だというのに空は灰色の雲が重くのしかかって夕暮れのようだった。
道が二方向に分れるところでバスが停まった。運転手にはあらかじめアルテハイムで降りたいと伝えてあったので親切に教えてくれたのだ。だが、そこは標識も何もなく、バス停とは思えなかった。運転手はバスの後方から荷物の木箱を五つ下ろし地面に置いた。私が、アルテハイムかと訊くと黙って左の道を指差した。
バスは右方向へ走り去り、私と木箱が取り残された。左の道の先には低い山と森が広がっている。町どころか一軒の家も見当たらない。早朝のバスが正解だったと思った。午後に出発するバスに乗っていたら、私は街灯もない真っ暗な街道にポツンと立っていなければならなかっただろう。
私はスマートフォンのカメラでバス停周辺の景色を撮った。それから、リュックサックからパンを取り出した。レバーゲーゼという挽き肉を挟んだ、ハンバーガーのようなものである。ナーゴルトの町のパン屋でパンとミネラルウォーターなどを買っておいた。これで昼食と夕食は間に合うだろう。
相変わらず空はどんよりと重苦しい。雨が降りそうだ。ここで降られたら最悪だと思いながら、木箱に座ってレバーゲーゼパンを齧った。
木箱はどうするんだろうと考えた。ここに置いていったということは誰かが取りに来るはずだ。その誰かがアルテハイムの住人であることを期待した。
私がドイツの田舎の道に放り出されることになったのは一枚の写真がきっかけだった。
祖父はドイツ人だった。大学で日本語を研究するために来日し日本人の女性と結婚した。従って私は四分の一ドイツの血が流れていることになる。とはいえ、西欧の血が混じっているような顔立ちではなく、まして、ドイツ語は挨拶程度しか喋れない。
祖父はカルロスという名前だった。ドイツ人にしては珍しいが、スペインかイタリア系の名を付けられたのだろう。その祖父はすでに亡くなっていたが、昨年、2017年の冬、今度は父が他界した。まだ六十歳になったばかりだった。
父の遺品の中に写真のアルバムがあった。小型の冊子で写真はわずか五枚しか貼ってなかった。五枚うちの三枚の写真には、城壁と町の広場、それに小川か池のような水面が写っていた。他の二枚は住宅を撮った写真だった。その一枚は平屋の棟続きの家が並んでいる写真だった。五枚目に写っていたのは建築中の建物で、まだ家の土台だけしかできていない。いずれも古びたモノクロ写真であり、印面は小さく、粒子が荒くて鮮明とはいえないものだった。
写真の裏にドイツ語でアルテハイムと書かれていた。これが手掛かりになると思い、調べてみるとドイツ南部の地名だということが分った。これらの写真は、父のというよりは祖父に関係するものだろうと推測した。
ドイツのシュツットガルト出身だと聞かされていたが、祖父はアルテハイム生まれだったのだろうか。アルテハイムはシュツットガルトの西、およそ100キロほどの距離にある。地図で見る限りではかなり田舎の町のようだった。遺品にあった写真でも寒々とした片田舎だと想像できた。生まれ故郷か、それとも単に旅行で訪れただけかもしれないが、私はアルテハイムに行ってみたいと思った。
ドイツ行きは、仕事の目途をつけた2018年の五月、連休の終わった後になった。
城壁や建築中の家などの写真を建築事務所に勤める友人に見せた。友人はドイツといえば真っ先に浮かぶのが三角屋根のハーフティンバー住宅で、次にバウハウスだと言った。バウハウスとは、1900年代の初頭に起こった、建築、工芸などの芸術運動、並びに教育機関を指す。主導者は建築家のグロピウスだった。バウハウス建築は、シンプルな外観のビルが特徴だ。ナチスによって取り締まられたが、近代的なデザインの先駆けであり、現在の新しいビルにはほとんどバウハウスの影響がある。
その友人によれば、写真に写った城壁は数百年以上前に建てられたもので、平屋の建物もかなり年代物だそうだ。彼は音楽にも精通していて、グロピウスは作曲家マーラーの元妻アルマ・マーラーと再婚したという話もしてくれた。二人の間にはマノンという娘がいたが、子供の頃に早世した。
ということで、私は父の遺品にあった写真の場所、アルテハイムを目指してやってきたのである。
パンを食べ、歩き出そうとしたところへ、左の道、アルテハイムの方角から車が走ってきた。木箱の荷物を回収に来たのだろうか。小型トラックが止まった。運転していたのは若い女性だった。私と同じくらいか少し上のように見える。栗色の髪で、きりりとした顔立ちである。オレンジ色のシャツを着て、ヤンキースの帽子を被っていた。ドイツ語で何か言うのだが、早すぎてまったく聞き取れない。すると、車から降りてきて木箱の側へ行き、個数を数えだした。やはりこれを取りに来たのだ。女性が木箱を抱え上げたが重そうにしている。私は荷台に積み込むのを手伝った。
「アルテハイムはこの先ですか」
とっさにドイツ語が出てこないので日本語で訊ねた。それでも、アルテハイムという言葉は通じたようで、彼女は腰に手を当てて「ヤー」と頷いた。英語にすれば「イエス」だ。それから助手席を指差した。親切にも乗れというのだ。どうやらアルテハイムまで送ってくれるらしい。
私がドイツ語で「ダンケ」と言って次の言葉に迷っていると彼女は、
「英語でもいいわ」
流暢な英語で言った。英語が通じるのは助かった。
「車に乗せてくれてありがとう」
「荷物を持ってくれたお礼よ。あんなところで何をしていたの」
「ナーゴルトからバスに乗ってアルテハイムに行く途中なんです。バスを降りて歩くつもりでした」
「歩いたら日暮れまでには着ける。ただし道に迷わなかったらね」
彼女の車に拾われて良かった。
「ルルよ」
「宮野隼人です。日本から来ました」
「日本人。ここでは珍しい」
自己紹介もそこそこにトラックが走り出した。道の両側はブドウ畑が続いている。遮る物がなく見通しはいい。
「アルテハイムに用があるの? ハヤト・・・ハヤトー」
ルルはハヤトと言った後で語尾を引き延ばした。面白そうにメロディーに載せている。日本人の名前が気に入ってくれたようで少し嬉しくなる。私はリュックからアルテハイムの写った写真を出して見せようとしたが、トラックがガタガタ揺れるので手が震えた。舗装されていない農道のうえにルルの運転が荒っぽかった。ルルがトラックを停めたので、ようやく写真を取り出すことができた。その写真は原本から複製したコピーなのでさらに解像度が落ちている。
「この写真見てください」
私は父の遺品にあった写真を見せながら、ここへ来ることになった経緯を話した。
「アルテハイムにこの写真に写った場所はありますか」
「城壁は似ている。広場もたぶんアルテハイムの中心部だと思う」
ルルは順に見ていたが、小川の写真には首を傾げた。
「川かな、それとも池みたいだけど、何か暗くて怖い、気味が悪い場所」
「この建築中の家はどうですか」
「さあ、工事中だもの。これじゃ、どこの家だか分からない。あと、こっちの写真の低い家はドイツならどこにでもありそう」
土台だけの建築中の建物に見覚えがないのは当然だろう、ルルが生まれるずっと前の話である。城壁は変わらないとしても、古い家は取り壊されて新しいマンションにでもなっているのかもしれない。二十一世紀の現在でも写真のような古い家が残っているとすれば、それこそアルテハイムは時代に取り残された集落だ。
「これはかなり古い写真です。今から五十年、もっと前かな」
「だったら、お爺ちゃんに聞いてみれば、何か知ってるかも」
ルルのお爺さんは九十歳を過ぎて、耳は遠いし目も悪いが、一日の大半を酒場で過ごしているそうだ。そこで話は途切れた。
十五分ほど走ると城壁が見えた。写真にあった城壁だろうか。いよいよアルテハイムに着いたのかと思うと、胸の奥から何やらこみ上げてくるものがあった。アルテハイムにやってきたことで、私は一つの役目を果たしたような気がしたのだ。
日本を発つ前は、祖父が旅行で訪れたのかもしれないと想像していたのだが、実際に来てみるとここは観光目的で来る場所ではなかった。アルテハイムは祖父の生まれ故郷だという感を強く抱いた。
城壁は意外に低かった。高い部分でさえ二階建ての家の屋根くらいしかしない。これで外敵から守るに役に立ったのだろうかと思った。
車は城壁のアーチ状の入り口の手前を右折した。壁に沿って進むと、石積みの壁の途切れたところがあって、その平坦な道から町の中へ入っていった。高い城壁は町の入り口のところだけで、人の背丈ほどの壁が町を囲んでいるようだ。
ルルは車を停めた。通りに面して木組みの家が数軒並んでいる。看板が出ているので商店のようだ。
「荷物はそこの店宛てのものよ。洋服、靴、薬、石鹸、それに鍋やらフライパンとか、まあ何でもいろいろ売ってる店ね」
「コンビニとかスーパーマーケットみたいなものですか」
「そう、アルテハイムにはこの店と、他にもう一軒しかない」
田舎暮らしはイヤだという表情をしてみせた。
三角屋根のスーパーマーケットから男が出てきた。髭の生えた五十代くらいのいかつい男だった。ルルと二言三言かわし、トラックに積まれた荷物を下ろし始めた。私が手伝おうとすると、男は早口で何か怒鳴るような口調でまくし立てた。大事な商品には触るなということと解釈した。
「ハヤトが私に気があるんじゃないかって怒ってる。ハヤトー」
両手を大げさに広げてルルが笑う。恋人にしてはその男性はルルと年が離れていた。私が外国人だから警戒しているのだろう。
荷物を運び終えるとルルは男性と一緒に店内に入った。荷物が間違いないか確認しているのだろう。
店の前の広場で子供たちが遊んでいた。木の棒の先端に馬の頭部が付いている遊具に男の子が跨って走っている。いわゆる「竹馬」だ。日本では竹に足掛かりを付けたのを竹馬というが、これは西洋スタイルだ。十歳くらいの女の子が男の子の手を引いている。お姉さんが弟の面倒をみているといった感じだ。男の子が私に向かって手を振った。歓迎されているようなので手を振って答えた。
すぐにルルが戻ってきた。今度は、お爺さんが酒を飲んでいるという酒場を目指す。中心部の通りにしては商店らしき三角屋根の建物は数軒だけだった。商店街の外れに黄色い壁の良く目立つ店があった。角笛の看板が出ていて、POSTと書いてある。郵便局だ。ルルが立ち止まった。
「私のお父さん、郵便局の局長なのよ」
ポストも黄色く塗られていた。
郵便局は手紙や荷物の取り扱いだけでなく、銀行でもあるし、日用品も売っているとのことだ。そうすると、ルルが遠くのバス停まで荷物を回収に行ったのも、郵便局の仕事の一環だったのだろう。宅配業者のようなものだ。郵便局長ともなると土地の名士に数えられるのではないか。ルルは名家のお嬢さんだった。
そこで家並みは途切れ、柵で囲われた農園、畑地になった。その先に灰色の大きな建物が見えてきた。かつては兵舎だったが今は使われていないそうだ。
しばらくすると、緩やかにカーブした道路の片側に石造りの家が連なって建っているところに出た。向かい側はただの草地だ。ここが酒場だというのだが、看板らしいものはなく、入り口も目立たない。
私はルルの後に続いて店内に入った。カウンターと他に長いテーブルがあるだけの小さな酒場だった。レンガの壁で、床は黒ずんだ板張りである。テーブルに老人が突っ伏している。客は一人しかいない。彼がルルのお爺さんだ。
「あーあ、また寝ちゃってる、いつもこうなんだ」
ルルが身体を揺すっても老人は眠ったままだ。時刻は午後二時を回ったばかりである。明るいうちから酒場で酔いつぶれていたのでは話を聞けそうにない。
私は例の写真を取りだし、ルルに渡して酒場の主人に見せてくれないかと頼んだ。初老の主人は写真を見ていたが、その顔つきから、良い答えは期待できそうになかった。ルルはこちらを向いて首を振った。ここでも手掛かりは見つからなかった。
それからルルのお爺さんを起こして家に帰ることにした。酒場の支払いがすんでいないというので私が立て替えた。
「気前がいいのね、ハヤトは」
「アルテハイムの話を聞かせてもらうのでお礼の前払いです」
「それじゃ、明日はもっと出費を覚悟して」
ルルは壁際に私を連れて行った。カウンターの脇の壁に絵が掛かっていた。椅子に座った女性が荒々しいタッチで描かれている。「私よ」とルルが言った。ナーゴルトに若い絵描きがいてモデルになったそうだ。目の前のルルは明るい栗色の髪だが、画中の彼女の髪は真っ赤だ。こちらを見つめるその眼差しは男を誘うような、奔放な雰囲気さえ漂わせていた。
「この町でモデルなんて私一人よ」
「いいね、とてもきれいだ」
当たり障りのない感想を口にした。ルルには申し訳ないが、素人目にもあまりうまいとは思えなかった。少しデッサンが狂っているようにも見えた。趣味で描いている日曜画家なのだろう。
それから、お爺さんをしっかり抱きかかえ店の外に出た。すっかり酔っぱらって足元がおぼつかない。年齢の割には身体がガッチリしているので抱えて歩くのは重労働だった。ルルはお爺さんのことは私に任せて少し前を歩いている。ルルが振り返った。
「あたし、シュツットガルトのビアホールで働いてたの。お客の中に新聞社の編集長がいて、あの絵を描いたのはその息子。絵描きとしてはモノにならなかったみたい。編集長のパパとは違って、ただのダメ男だった」
単なる画家とモデルの関係ではなかったような口ぶりだ。それに、編集長とは違ってダメ男だったというのも何だか気になる。編集長と息子の両方とも付き合っていたのだろうかと勘ぐってしまう。
「ハヤトはどうするの、今夜のホテル。ねえ、ハヤトー」
「ナーゴルトにとってあります。帰りのバスには間に合うでしょう」
「今ならナーゴルトに戻るバスに間に合うわ・・・でも、ごめんね、バス停まで歩いて行って。私の車じゃないんで、このトラック勝手に使えないのよ」
「歩いている間に日が暮れそうですね。ここに宿はありますか、寝られるならどこでも構いません」
ホテルがあるかどうか訊いてみた。ナーゴルトに戻って出直すのでは時間が掛る。アルテハイムに泊った方が得策だ。
「普通の家の空き部屋を民宿にしてるのがあるわ、そこでもいいかな・・・うっ」
ルルが私に抱きついてきた。見ると、道の先に蛇が這っていた。しかし、私は身動きが取れない。右腕でお爺さんを支え、左側にはルルがしがみついている。その姿勢で数秒固まっていると蛇は草むらに消えていった。蛇がいなくなってもルルはすぐには離れようとしなかった。
バスの乗客は私を含めて四人だけだった。一人はサングラスをかけた年配の男性で、大きなトランクを二つ持っていた。他には子供連れの母親がいた。母親は見慣れぬ外国人が乗り合わせた不安からか子供をしっかり抱きかかえていた。
私が訊ねようとしているのは南ドイツの町である。
フランクフルトから特急列車で出発し、ローカル鉄道に乗り換えてナーゴルトという町に着いた。ここは「黒い森」にも近い町だ。私はナーゴルトに宿をとってあった。ホテルで訊ねると目的の場所、アルテハイムにはバスで二時間ほどかかるということだった。しかも、朝夕の二本だけしかなく、チェックインした午後三時にはすでに夕方のバスが出ていた。そこで、翌朝のバスで行くことにした。
バスは二十人がやっと乗れる程度の大きさで、後ろの一列は座席を取り外して荷物が置かれていた。ナーゴルトから食料品や衣服などを積んで近隣の町に届けるのだろう。ナーゴルトを出てしばらくは舗装された道路だったが、それが石畳の道に変わり、すぐに砂利道になった。ときどき思い出したように家が一軒、また一軒と見えた。家の周囲には果樹園が広がっていた。朝九時に乗ったから、まだ昼前だというのに空は灰色の雲が重くのしかかって夕暮れのようだった。
道が二方向に分れるところでバスが停まった。運転手にはあらかじめアルテハイムで降りたいと伝えてあったので親切に教えてくれたのだ。だが、そこは標識も何もなく、バス停とは思えなかった。運転手はバスの後方から荷物の木箱を五つ下ろし地面に置いた。私が、アルテハイムかと訊くと黙って左の道を指差した。
バスは右方向へ走り去り、私と木箱が取り残された。左の道の先には低い山と森が広がっている。町どころか一軒の家も見当たらない。早朝のバスが正解だったと思った。午後に出発するバスに乗っていたら、私は街灯もない真っ暗な街道にポツンと立っていなければならなかっただろう。
私はスマートフォンのカメラでバス停周辺の景色を撮った。それから、リュックサックからパンを取り出した。レバーゲーゼという挽き肉を挟んだ、ハンバーガーのようなものである。ナーゴルトの町のパン屋でパンとミネラルウォーターなどを買っておいた。これで昼食と夕食は間に合うだろう。
相変わらず空はどんよりと重苦しい。雨が降りそうだ。ここで降られたら最悪だと思いながら、木箱に座ってレバーゲーゼパンを齧った。
木箱はどうするんだろうと考えた。ここに置いていったということは誰かが取りに来るはずだ。その誰かがアルテハイムの住人であることを期待した。
私がドイツの田舎の道に放り出されることになったのは一枚の写真がきっかけだった。
祖父はドイツ人だった。大学で日本語を研究するために来日し日本人の女性と結婚した。従って私は四分の一ドイツの血が流れていることになる。とはいえ、西欧の血が混じっているような顔立ちではなく、まして、ドイツ語は挨拶程度しか喋れない。
祖父はカルロスという名前だった。ドイツ人にしては珍しいが、スペインかイタリア系の名を付けられたのだろう。その祖父はすでに亡くなっていたが、昨年、2017年の冬、今度は父が他界した。まだ六十歳になったばかりだった。
父の遺品の中に写真のアルバムがあった。小型の冊子で写真はわずか五枚しか貼ってなかった。五枚うちの三枚の写真には、城壁と町の広場、それに小川か池のような水面が写っていた。他の二枚は住宅を撮った写真だった。その一枚は平屋の棟続きの家が並んでいる写真だった。五枚目に写っていたのは建築中の建物で、まだ家の土台だけしかできていない。いずれも古びたモノクロ写真であり、印面は小さく、粒子が荒くて鮮明とはいえないものだった。
写真の裏にドイツ語でアルテハイムと書かれていた。これが手掛かりになると思い、調べてみるとドイツ南部の地名だということが分った。これらの写真は、父のというよりは祖父に関係するものだろうと推測した。
ドイツのシュツットガルト出身だと聞かされていたが、祖父はアルテハイム生まれだったのだろうか。アルテハイムはシュツットガルトの西、およそ100キロほどの距離にある。地図で見る限りではかなり田舎の町のようだった。遺品にあった写真でも寒々とした片田舎だと想像できた。生まれ故郷か、それとも単に旅行で訪れただけかもしれないが、私はアルテハイムに行ってみたいと思った。
ドイツ行きは、仕事の目途をつけた2018年の五月、連休の終わった後になった。
城壁や建築中の家などの写真を建築事務所に勤める友人に見せた。友人はドイツといえば真っ先に浮かぶのが三角屋根のハーフティンバー住宅で、次にバウハウスだと言った。バウハウスとは、1900年代の初頭に起こった、建築、工芸などの芸術運動、並びに教育機関を指す。主導者は建築家のグロピウスだった。バウハウス建築は、シンプルな外観のビルが特徴だ。ナチスによって取り締まられたが、近代的なデザインの先駆けであり、現在の新しいビルにはほとんどバウハウスの影響がある。
その友人によれば、写真に写った城壁は数百年以上前に建てられたもので、平屋の建物もかなり年代物だそうだ。彼は音楽にも精通していて、グロピウスは作曲家マーラーの元妻アルマ・マーラーと再婚したという話もしてくれた。二人の間にはマノンという娘がいたが、子供の頃に早世した。
ということで、私は父の遺品にあった写真の場所、アルテハイムを目指してやってきたのである。
パンを食べ、歩き出そうとしたところへ、左の道、アルテハイムの方角から車が走ってきた。木箱の荷物を回収に来たのだろうか。小型トラックが止まった。運転していたのは若い女性だった。私と同じくらいか少し上のように見える。栗色の髪で、きりりとした顔立ちである。オレンジ色のシャツを着て、ヤンキースの帽子を被っていた。ドイツ語で何か言うのだが、早すぎてまったく聞き取れない。すると、車から降りてきて木箱の側へ行き、個数を数えだした。やはりこれを取りに来たのだ。女性が木箱を抱え上げたが重そうにしている。私は荷台に積み込むのを手伝った。
「アルテハイムはこの先ですか」
とっさにドイツ語が出てこないので日本語で訊ねた。それでも、アルテハイムという言葉は通じたようで、彼女は腰に手を当てて「ヤー」と頷いた。英語にすれば「イエス」だ。それから助手席を指差した。親切にも乗れというのだ。どうやらアルテハイムまで送ってくれるらしい。
私がドイツ語で「ダンケ」と言って次の言葉に迷っていると彼女は、
「英語でもいいわ」
流暢な英語で言った。英語が通じるのは助かった。
「車に乗せてくれてありがとう」
「荷物を持ってくれたお礼よ。あんなところで何をしていたの」
「ナーゴルトからバスに乗ってアルテハイムに行く途中なんです。バスを降りて歩くつもりでした」
「歩いたら日暮れまでには着ける。ただし道に迷わなかったらね」
彼女の車に拾われて良かった。
「ルルよ」
「宮野隼人です。日本から来ました」
「日本人。ここでは珍しい」
自己紹介もそこそこにトラックが走り出した。道の両側はブドウ畑が続いている。遮る物がなく見通しはいい。
「アルテハイムに用があるの? ハヤト・・・ハヤトー」
ルルはハヤトと言った後で語尾を引き延ばした。面白そうにメロディーに載せている。日本人の名前が気に入ってくれたようで少し嬉しくなる。私はリュックからアルテハイムの写った写真を出して見せようとしたが、トラックがガタガタ揺れるので手が震えた。舗装されていない農道のうえにルルの運転が荒っぽかった。ルルがトラックを停めたので、ようやく写真を取り出すことができた。その写真は原本から複製したコピーなのでさらに解像度が落ちている。
「この写真見てください」
私は父の遺品にあった写真を見せながら、ここへ来ることになった経緯を話した。
「アルテハイムにこの写真に写った場所はありますか」
「城壁は似ている。広場もたぶんアルテハイムの中心部だと思う」
ルルは順に見ていたが、小川の写真には首を傾げた。
「川かな、それとも池みたいだけど、何か暗くて怖い、気味が悪い場所」
「この建築中の家はどうですか」
「さあ、工事中だもの。これじゃ、どこの家だか分からない。あと、こっちの写真の低い家はドイツならどこにでもありそう」
土台だけの建築中の建物に見覚えがないのは当然だろう、ルルが生まれるずっと前の話である。城壁は変わらないとしても、古い家は取り壊されて新しいマンションにでもなっているのかもしれない。二十一世紀の現在でも写真のような古い家が残っているとすれば、それこそアルテハイムは時代に取り残された集落だ。
「これはかなり古い写真です。今から五十年、もっと前かな」
「だったら、お爺ちゃんに聞いてみれば、何か知ってるかも」
ルルのお爺さんは九十歳を過ぎて、耳は遠いし目も悪いが、一日の大半を酒場で過ごしているそうだ。そこで話は途切れた。
十五分ほど走ると城壁が見えた。写真にあった城壁だろうか。いよいよアルテハイムに着いたのかと思うと、胸の奥から何やらこみ上げてくるものがあった。アルテハイムにやってきたことで、私は一つの役目を果たしたような気がしたのだ。
日本を発つ前は、祖父が旅行で訪れたのかもしれないと想像していたのだが、実際に来てみるとここは観光目的で来る場所ではなかった。アルテハイムは祖父の生まれ故郷だという感を強く抱いた。
城壁は意外に低かった。高い部分でさえ二階建ての家の屋根くらいしかしない。これで外敵から守るに役に立ったのだろうかと思った。
車は城壁のアーチ状の入り口の手前を右折した。壁に沿って進むと、石積みの壁の途切れたところがあって、その平坦な道から町の中へ入っていった。高い城壁は町の入り口のところだけで、人の背丈ほどの壁が町を囲んでいるようだ。
ルルは車を停めた。通りに面して木組みの家が数軒並んでいる。看板が出ているので商店のようだ。
「荷物はそこの店宛てのものよ。洋服、靴、薬、石鹸、それに鍋やらフライパンとか、まあ何でもいろいろ売ってる店ね」
「コンビニとかスーパーマーケットみたいなものですか」
「そう、アルテハイムにはこの店と、他にもう一軒しかない」
田舎暮らしはイヤだという表情をしてみせた。
三角屋根のスーパーマーケットから男が出てきた。髭の生えた五十代くらいのいかつい男だった。ルルと二言三言かわし、トラックに積まれた荷物を下ろし始めた。私が手伝おうとすると、男は早口で何か怒鳴るような口調でまくし立てた。大事な商品には触るなということと解釈した。
「ハヤトが私に気があるんじゃないかって怒ってる。ハヤトー」
両手を大げさに広げてルルが笑う。恋人にしてはその男性はルルと年が離れていた。私が外国人だから警戒しているのだろう。
荷物を運び終えるとルルは男性と一緒に店内に入った。荷物が間違いないか確認しているのだろう。
店の前の広場で子供たちが遊んでいた。木の棒の先端に馬の頭部が付いている遊具に男の子が跨って走っている。いわゆる「竹馬」だ。日本では竹に足掛かりを付けたのを竹馬というが、これは西洋スタイルだ。十歳くらいの女の子が男の子の手を引いている。お姉さんが弟の面倒をみているといった感じだ。男の子が私に向かって手を振った。歓迎されているようなので手を振って答えた。
すぐにルルが戻ってきた。今度は、お爺さんが酒を飲んでいるという酒場を目指す。中心部の通りにしては商店らしき三角屋根の建物は数軒だけだった。商店街の外れに黄色い壁の良く目立つ店があった。角笛の看板が出ていて、POSTと書いてある。郵便局だ。ルルが立ち止まった。
「私のお父さん、郵便局の局長なのよ」
ポストも黄色く塗られていた。
郵便局は手紙や荷物の取り扱いだけでなく、銀行でもあるし、日用品も売っているとのことだ。そうすると、ルルが遠くのバス停まで荷物を回収に行ったのも、郵便局の仕事の一環だったのだろう。宅配業者のようなものだ。郵便局長ともなると土地の名士に数えられるのではないか。ルルは名家のお嬢さんだった。
そこで家並みは途切れ、柵で囲われた農園、畑地になった。その先に灰色の大きな建物が見えてきた。かつては兵舎だったが今は使われていないそうだ。
しばらくすると、緩やかにカーブした道路の片側に石造りの家が連なって建っているところに出た。向かい側はただの草地だ。ここが酒場だというのだが、看板らしいものはなく、入り口も目立たない。
私はルルの後に続いて店内に入った。カウンターと他に長いテーブルがあるだけの小さな酒場だった。レンガの壁で、床は黒ずんだ板張りである。テーブルに老人が突っ伏している。客は一人しかいない。彼がルルのお爺さんだ。
「あーあ、また寝ちゃってる、いつもこうなんだ」
ルルが身体を揺すっても老人は眠ったままだ。時刻は午後二時を回ったばかりである。明るいうちから酒場で酔いつぶれていたのでは話を聞けそうにない。
私は例の写真を取りだし、ルルに渡して酒場の主人に見せてくれないかと頼んだ。初老の主人は写真を見ていたが、その顔つきから、良い答えは期待できそうになかった。ルルはこちらを向いて首を振った。ここでも手掛かりは見つからなかった。
それからルルのお爺さんを起こして家に帰ることにした。酒場の支払いがすんでいないというので私が立て替えた。
「気前がいいのね、ハヤトは」
「アルテハイムの話を聞かせてもらうのでお礼の前払いです」
「それじゃ、明日はもっと出費を覚悟して」
ルルは壁際に私を連れて行った。カウンターの脇の壁に絵が掛かっていた。椅子に座った女性が荒々しいタッチで描かれている。「私よ」とルルが言った。ナーゴルトに若い絵描きがいてモデルになったそうだ。目の前のルルは明るい栗色の髪だが、画中の彼女の髪は真っ赤だ。こちらを見つめるその眼差しは男を誘うような、奔放な雰囲気さえ漂わせていた。
「この町でモデルなんて私一人よ」
「いいね、とてもきれいだ」
当たり障りのない感想を口にした。ルルには申し訳ないが、素人目にもあまりうまいとは思えなかった。少しデッサンが狂っているようにも見えた。趣味で描いている日曜画家なのだろう。
それから、お爺さんをしっかり抱きかかえ店の外に出た。すっかり酔っぱらって足元がおぼつかない。年齢の割には身体がガッチリしているので抱えて歩くのは重労働だった。ルルはお爺さんのことは私に任せて少し前を歩いている。ルルが振り返った。
「あたし、シュツットガルトのビアホールで働いてたの。お客の中に新聞社の編集長がいて、あの絵を描いたのはその息子。絵描きとしてはモノにならなかったみたい。編集長のパパとは違って、ただのダメ男だった」
単なる画家とモデルの関係ではなかったような口ぶりだ。それに、編集長とは違ってダメ男だったというのも何だか気になる。編集長と息子の両方とも付き合っていたのだろうかと勘ぐってしまう。
「ハヤトはどうするの、今夜のホテル。ねえ、ハヤトー」
「ナーゴルトにとってあります。帰りのバスには間に合うでしょう」
「今ならナーゴルトに戻るバスに間に合うわ・・・でも、ごめんね、バス停まで歩いて行って。私の車じゃないんで、このトラック勝手に使えないのよ」
「歩いている間に日が暮れそうですね。ここに宿はありますか、寝られるならどこでも構いません」
ホテルがあるかどうか訊いてみた。ナーゴルトに戻って出直すのでは時間が掛る。アルテハイムに泊った方が得策だ。
「普通の家の空き部屋を民宿にしてるのがあるわ、そこでもいいかな・・・うっ」
ルルが私に抱きついてきた。見ると、道の先に蛇が這っていた。しかし、私は身動きが取れない。右腕でお爺さんを支え、左側にはルルがしがみついている。その姿勢で数秒固まっていると蛇は草むらに消えていった。蛇がいなくなってもルルはすぐには離れようとしなかった。