「小説 ヴォツェック」

アルテハイムの町(2)

 アルテハイムの町(2)

 語り終えたクラウスお爺さんはビールを飲み干すとソファに背中をあずけた。話し疲れた様子だった。すでに時計は午後の一時を指していた。お爺さんの話は休憩を挟んで三時間にも及んだ。お爺さんの話を、私に分るように英語に訳してくれたルルもさすがに疲れた表情をしていた。
「子供がいたんだ、マリーの子が」
 ルルがお爺さんの言葉を通訳した。
「わしよりも五つくらい年上だった。町の人たちは両親が死んで心配していたんだが、その子は親に似ずしっかり者で、大工の親方になった」
「それは良かったですね」
 両親が亡くなったあと、広場で無邪気に遊んでいた子供のことだ。貧困、精神の病い、そして妻殺し。暗い悲しい話だったが、残された子供が成長して腕のいい大工になったと聞いて救われる思いがした。
「マリーの子供が大工の修業に出たとき、カールも後を追うようにしてシュツットガルトに行った」
 カールとは広場の遊び仲間で、その当時は小さくてお姉さんのゲーテの腕に抱かれていた子供のことだ。
「父親のエーリッヒが学校の先生をしていたこともあって、カールは良く勉強ができた。町一番の優等生と評判だった。だが、その当時はナチスが台頭してきた時期だった。そこで、迫害から逃れるために、父親はカールの名前をスペイン系の呼び方、カルロスに変えた。その後、カルロスはシュツットガルトの大学に進んだそうだ」
 私は心臓が飛び出しそうになった。私の祖父の名はカルロスである。
「祖父の名前もカルロスでした」
「カルロスは、その後どうなったの?」
 ルルも驚きを隠せない。
「エーリッヒの一家は戦時中に町を離れてしまった。どうなったかは聞いていない。わしが知っているのはそこまでだ。」
 アルテハイム出身のカルロスという名前の子供がいた。そして、祖父のカルロスはアルテハイムを写した数枚の写真、建築中のバウハウスの家や、兵士が溺れた池の写真まで持っていた。これは単なる偶然の一致だろうか。私には偶然とは思えなかった。
「ハヤトのお爺さんが、今の話に出てきたカールだったのよ、きっと」
「そうだと思う」
 カールという子供が祖父カルロスと同一人物である可能性は限りなく高い。
 1928年生まれの祖父が少年時代を過ごしたのが40年代、その後、シュツットガルトの大学に進学し、日本に留学したとすると時代的には合致している。カール改めカルロスが私の祖父であることは確実だ。アルテハイムを写した写真を撮ったのは、カールではなく、父親のエーリッヒ、すなわち曽祖父ではないだろうか。
 お爺さんのおかげで写真の謎は解決した。
 しかし、ルルのお爺さんからこれ以上聞き出すのは難しかった。昔のことで記憶が薄れているし、兵士が死んだという事件はあまりにも暗い出来事だった。根掘り葉掘り、町の人が触れられたくない過去を聞き出すのは控えた方がいいだろう。
 私は池の畔で遭遇した怖い体験を話そうかどうしようかと迷った。もし、これまでに同じような経験をした人があれば、今でも、池には近づくなと話題になっていてもおかしくはない。となると、池の水面が波立ったことや人声が聞こえたのは、旅人である私だけに降りかかった出来事だったかもしれない。
 昼食を勧められたのでいただくことにした。ケーゼシュベッチェルという、パスタを茹でてチーズで和えた一品とポテトフライだった。
 私はお爺さんにお礼を言い、通訳してくれたルルにも、ありがとうと言った。
「こんなに英語を喋ったのは久し振りよ。初めて聞いたことばっかりだったから英語に直すのが大変だったところもあった」
 ルルはミネラルウォーターを飲んだ。お爺さんは相変わらず黒ビールだ。
「酒場のシーンで鍵盤楽器って言ったでしょう。考えたらピアノでもよかったんだ。ドイツ語ではグラビア、英語ではピアノだから」
「そこまで気が付かなかった」
「グラビアを英語風に発音するとクライバーみたいになる」
 帰りはルルがバス停まで送ってくれることになった。今日はトラックではなく父親のワーゲンだ。トラックのときよりはかなり慎重な運転だった。
 話題はサッカーの話になった。来月にはワールドカップ2018・ロシア大会が開催される。ドイツと日本チームは別のグループに入っているので直接の対戦はない。お互いのチームを応援しようということになった。
 話しているうちにバス停が見えてきた。
「お爺さんに話を聞けてよかった。というか、バスを降りて困っていたときにルルに遇えたことが一番ラッキーだった」
「カールが、カルロスが日本へ行って、日本人と結婚したからハヤトーが生まれた。そうしてハヤトーがアルテハイムに来た。私たちにはそういう繫がりがあったんだね」
 そこで私はふと思った。
 私のお爺さんカルロスと、ルルのお爺さんは一緒に遊んだ仲だった。何十年経って、こうして私とルルが会ったのも生まれる前から定められた運命だったかもしれない。
 ここで別れるのかと思うと寂しくなった。
 私はルルの写真を撮った。
「今度はルルが日本に来て」
「行くわ、きっと、ハヤトー」
 名刺を渡した。裏には住所を英語で書いてある。
「ところで、ルルが私の名前をハヤトーと引き伸ばすのは何か理由があるの」
「ワルキューレの掛け声よ。ワルキューレたちがハヤトー、ハヤトーって叫んでいる」
 ハヤトーは、ワーグナーのワルキューレの騎行から類推したようだ。
「ワルキューレは戦死した死者を天上の世界に連れていって蘇らせるのよ」
 死者を蘇らせる・・・
 池で溺れて死んだ兵士も生き返らせるとしたら・・・
 ルルはワルキューレなのか、私はそう訊いてみたくなった。
 

 「小説 ヴォツェック」終わり
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